博多駅大災害っ!!

2003年7月19日
チャ〜ララッ、チャララ チャ〜ララッ、チャララ
チャ〜ラララララ、ラーラララァ〜

部屋を出ようとした瞬間、ケータイが鳴り始めた。
思わず音楽に併せて、
♪traveling 君を
 tarveling 乗せて
 ア〜スファルトをて〜らすよぉ〜♪
歌いそうになる衝動を堪えて電話に出ると、
「6時45分にYクンを、城南線のいつもの場所で拾って会社に来てくれ」
「あれ?N社の筑紫野事務所じゃないの?」
「直接八木山の現場に行って貰うかもしれないから、とりあえず会社に…」
待ち合わせ場所に30分には到着。少し待ったが、35分くらいには彼はやってきた。
時間にルーズな隊員が多い中、いつも早めに到着する彼はなかなか見込みのあるヤツだ。

 会社に行くためには、まず住吉通りからパチンコ店の横を左折する。そしてX本目を右に曲がる…
と、えっ!?
道路一面が黄土色!?
いや、黄土色に汚れた濁流が流れていた。
両側のタイヤは1メートル近く濁水を跳ね上げ進み、会社のビル前に駐めた。
 車は孤島状態で深さは約15〜20センチ。車内浸水の危険はない車高なのでひとまず安心。 
靴を脱ぎ靴下をポケットにねじ込んで裸足で車を降りた。

 会社に到着すると
「どうしたんだ?その足…」
K(警備責任者)が半笑いで聞くので
「えっ!?…だって下のあの状況じゃ、こうやって来るしかないっしょ?」
「下の状況?」
彼が出勤してきた約10分ほど前にはまだ水なんて一滴すら存在しなかったらしい。
下りてきて現状を目の当たりにすると「えーっ!!」おったまげーだった。
「4年前の博多駅前周辺の大洪水のときでもこんなとこまで来なかったぞ」
会社のTVを点けニュース番組で、初めて状況が理解できたようだ。
4年前の大雨同様に、御笠川が氾濫したらしい。

 暫く会社で指示を待ち、結局、粕屋警察署前のバス停でもう一人、隊員Yクン…(あれ?Yクンが二人になっちゃうなぁ…じゃあ「Y田」…って、二人とも「Y田」だなぁ…。じゃあ、最初に乗せてきた彼を「Yクン」、粕屋署前バス停で拾うほうをベテランなので「Yさん」とする…というワケで、)Yさんを乗せて八木山のほうへ直接向かうことになった。

 …が、会社を出て間もなく、博多駅方面への道が全面通行止めで迂回させられ、止むを得ずルート変更。だが迂回させられた車が集中してしまい大渋滞。
ノロノロノロノロ、なんとか進みながら百年橋通りに出た。
東に向かうべく再度亀の行列の一員に加わって進んだ…が、瑞穂交差点で再び通行止め。「真っ直ぐ行きたいのにィ…」
迂回の支持に従って渋々右折して南下。
 山王交差点を上牟田3丁目方向に左折するつもりでいたら、50メートル進むのに2分以上かかるような筑紫通り。あんまりイライラさせられるので山王公園前ローソンの角から左折し、公園にどん突き右折してきよみ通りに出て左折したらまた大渋滞。
 やっと平成大橋で御笠川を渡れる…と、その時、会社から電話。
「都市高使っていいから、榎田ランプから乗って…」

 上牟田2丁目でやっと渋滞を抜け、都市高に乗り粕屋出口で国道201号線に降り、Yさんを拾って八木山手前の待ち合わせ場所へ。ウチからの警備員は総勢6名。車3台に分乗、うち1台は約1時間遅れだった。

 着いて漸く仕事の内容を知らされた。
昨夜からの大雨で地盤が大変緩んでいるので、八木山峠のどこかで土砂崩れや崖崩れが起きた場合の復旧工事に備えて峠の下で待機。というものだった。

 だが雨は小康状態。結局11時半には2名を残して4名は八木山の待機を解除。移動の指示。
 その場に残った2名は、現場のトラックが送るということになり、4名3台で移動を開始。

 移動先は博多区の国道3号線、堅粕2丁目交差点付近。とにかく国道3号線がとんでもないことになっている。とだけ知らされた。
だが、現場には3台も車を置く余裕はないので、3号線バイパス西月隈にあるN社の資材置き場に一度集合、2台を残し全員1台に乗って堅粕2丁目に向かう段取りに。

 3台連なって移動を開始。
西月隈の資材置き場を唯一知っていたので僕が先導した。
 201号線は順調に進み、流通センターから左折。新幹線下の抜け道を利用して松田の交差店から3号線博多バイパスに出ようとしたところ大渋滞なんて次元を超えた超大々渋滞。
信号が3回青になっても車1台分も前進できないなんて…。朝のあの大渋滞よりも更に凄まじい渋滞…というよりも、殆ど「停滞」。
平均すると、約50メートル進むのに3分以上かかって、ようやく榎田の交差点まであと約200メートル。
 交差点を左折して大野城方面に向かいたいのだが、あと200メートルが約10分経っても全く進まない。じわじわじわじわ虫のペースのようなスピードで一本手前の角まで来たので、もう我慢できなくなって左折した。2台も後に続く。

 そして榎田南から3号線パイパスに出ようとして驚いた。こっちも大渋滞で車が全く動いていない。
交差点手前の200メートルが全く動かなかった理由はコレだったか。
 左折するのを止め、バイパスを突っ切って東比恵、上牟田、半道橋2丁目界隈の抜け道裏道をすり抜けて国際線北口近くまで出て、再度バイパスに入った。
でも、またまたナメクジの行進状態。
 九州自動車道路が上下線とも通行止めで、太宰府インターが閉鎖になっているのがこんな遠くまで影響しているのだろうか?

 ようやく西月隈の資材置き場に到着したのはもう4時近かった。
 八木山下辺りから、混んでいなければ西月隈まで45分程度で着くところ、4時間半を要した。

 大急ぎで堅粕2丁目に急行。反対車線は比較的空いていたのですぐに到着。
その現場の状況を見て一同絶句。
 今朝の御笠川から氾濫した濁流が国道3号線に流れ込み、水が引いたのち、車道も歩道も川底に沈殿していた汚泥で泥沼状態になっていた。車のタイヤが泥に埋まり、思うように進めない。
 なんとか車を駐車できるところを探してようやく駐めたが、車から出ると、足が泥に埋まってしまい、歩行困難で、まさに泥沼に嵌ってしまった状態だった。
 N社さんが作業をしている場所に着いてようやく仕事を開始。
 なんとか車道が普通に走れる状態になるまで作業は続けられた。
結局真っ暗になっても残業で、現場の作業が全て終了したのは夜の9時。

 全員、疲れた体を元来た車に収め、また西月隈の資材置き場へ。
もう夜9時過ぎなのでさすがに渋滞も解消しているだろうと、榎田へ向かった。
…がっ!!
 なんと夜9時過ぎてるのに大渋滞は続いていたっ!すぐに3号線から撤退し、県道112号線(旧国道3号線)へ出たら、こっちも3号線の影響で渋滞していた。
3号線よりは幾分流れていたので、なるべく西月隈の近くまで南下してから3号線へ戻ったが、それでもけっこう時間がかかり、資材置き場に着いたのはもう10時間際。
それから隊員Kくんを同乗させて会社に戻った。
彼は会社まで自転車で来ていたので一度会社に戻る必要があったのだ。

 10時半頃、もう誰も居なくなって施錠されている会社のビルの下でKくんと別れた。
もう飯を炊くのも面倒なので、帰途、スーパーとコンビ二に寄りご飯とオカズを買って帰着は深夜11時半。

 あ〜めっちゃ長い一日だったぁ〜。

 今日は、『めちゃイケ』も『世界ふしぎ発見!』も見られなかったよぉ〜!! (T_T)号泣〜っ!!

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