信じますか?
2003年7月21日「アキラぁ〜。あんた何言いよるとねぇ?」
「えっ!?何が?」
「あんた今なんか喋りよったろうもん?」
「んーにゃ。なんも…」
「中からなんか声の聞こえよったけん、あんたが何か独り言でも言いよるとかいな?と思ったっちゃばってん…」
「な〜んもゆーとらんよ」
今日は以前から、また中洲の掃除を手伝ってくれと母に頼まれていたので、休みだというのに7時に起きて8時半過ぎには家を出た。約束していた9時には多少余裕を持って中洲に着いた。
以前の日記にも記したことがあったが、西中洲のサパークラブ「D」の掃除をたまに手伝うことがある。店内、入口〜通路、客席など、カーペットが敷かれている広いスペース全体に掃除機を掛けるのである。
店の入口の外で玄関外辺りを掃除していた母が中に入ってくるなり、中で人の話し声が聞こえたと言って、ボクに独り言を言っていたのか?と聞いてきたのだった。
独り言も何も一声も発していないと答えると、
「そうね。おかしかねぇ…」
そう言って母は再び掃除を再開した。
掃除の手伝いも終わり、母を車に乗せて出発した。
福岡市南区に隣接する那珂川町の奥の山の中腹にあるペット寺院「E」を目指していた。
以前実家で飼っていた「ポンタ」と「ミー」の遺骨と位牌を預けてあるのだった。
管理費の1年間の期限が7月で切れるのて、新年度の管理費を支払いに行くのだった。
車を走らせて間もなく、
「ねぇ、最近、身体の調子、あんまり良くないっちゃない?身体疲れとらん?」
尋ねてみると母は不思議そうに
「なんでね?」
「いいや、さっき人の声が聞こえたって言いよったけんね、もしかしたらあの辺の浮遊霊の声でも聞こえたかと思って…」
人間というのは普段、霊体験など殆どない人が霊やその声をを見たり聞いたり、また霊障を受けたりするときというのは身体の基礎体力が著しく劣っていることが多いので、もしかしたらと思って聞いてみたのだった。
「うん、最近ちょっとキツかねぇ…」
「やっぱり…」
人間の体調は守護霊のパワーのバイオリズムに比例する。守護霊のパワーが強いときは霊なんて全く見えない人が、守護霊のパワー(庇護力)が弱まると、他の霊からの干渉を受け易くなってくるのだ。
子供の頃、霊感なんて殆どなかったボクだったが、如何なる訳か成人して後に霊感のようなものが身についた。
時々、存在感の強い霊や残留思念が強い霊などは見えてしまうようになった。
昼間はよほど強い霊や大量に蠢いている霊くらいしか見えないが、夕方以後陽が落ちると比較的見えるようになる。
更に深夜12時を過ぎて夜の空気が静寂に包まれると、また更に見え易くなる。
この「D」という店や、その周辺にも古いものが蠢いているのを以前から感じていたのだった。
おそらく戦時中に空襲などの犠牲になったこの辺りの住民や夜の女性たちだろうと思われた。
僕の場合、霊能力のようなものはなく、一般の人間よりほんの少しだけ感じる能力があるくらいなので、見ようとしても見えるわけではないし、それらの霊についての情報も調べようと思っても容易に霊視できるわけではない。
存在する場所に行くと、向こうのほうから現れてきたり、何らかの意思表示を示してくる。その霊の素性に関しても、そのイメージがふっと脳裏に浮かび、紙芝居のように次々とイメージが展開していくのだ。
霊の存在を信じない人も多いので、ムリに信じてほしいとは言わないが、見えてしまうというのも、僕にとっては紛れもない事実なのだ。
幼い頃から僕は夜や真っ暗闇に対する恐怖心というものがあまり無かった。現在になって振り返ってみると、闇に対する恐怖心が薄いということが、霊を感じることのできる条件の一つなのではないかと思う。
今後も、僕のこの霊を感じる能力については時々書くこともあるかもしれませんが、全て事実ですので、何とぞ宜しく、読んでやってください。
「えっ!?何が?」
「あんた今なんか喋りよったろうもん?」
「んーにゃ。なんも…」
「中からなんか声の聞こえよったけん、あんたが何か独り言でも言いよるとかいな?と思ったっちゃばってん…」
「な〜んもゆーとらんよ」
今日は以前から、また中洲の掃除を手伝ってくれと母に頼まれていたので、休みだというのに7時に起きて8時半過ぎには家を出た。約束していた9時には多少余裕を持って中洲に着いた。
以前の日記にも記したことがあったが、西中洲のサパークラブ「D」の掃除をたまに手伝うことがある。店内、入口〜通路、客席など、カーペットが敷かれている広いスペース全体に掃除機を掛けるのである。
店の入口の外で玄関外辺りを掃除していた母が中に入ってくるなり、中で人の話し声が聞こえたと言って、ボクに独り言を言っていたのか?と聞いてきたのだった。
独り言も何も一声も発していないと答えると、
「そうね。おかしかねぇ…」
そう言って母は再び掃除を再開した。
掃除の手伝いも終わり、母を車に乗せて出発した。
福岡市南区に隣接する那珂川町の奥の山の中腹にあるペット寺院「E」を目指していた。
以前実家で飼っていた「ポンタ」と「ミー」の遺骨と位牌を預けてあるのだった。
管理費の1年間の期限が7月で切れるのて、新年度の管理費を支払いに行くのだった。
車を走らせて間もなく、
「ねぇ、最近、身体の調子、あんまり良くないっちゃない?身体疲れとらん?」
尋ねてみると母は不思議そうに
「なんでね?」
「いいや、さっき人の声が聞こえたって言いよったけんね、もしかしたらあの辺の浮遊霊の声でも聞こえたかと思って…」
人間というのは普段、霊体験など殆どない人が霊やその声をを見たり聞いたり、また霊障を受けたりするときというのは身体の基礎体力が著しく劣っていることが多いので、もしかしたらと思って聞いてみたのだった。
「うん、最近ちょっとキツかねぇ…」
「やっぱり…」
人間の体調は守護霊のパワーのバイオリズムに比例する。守護霊のパワーが強いときは霊なんて全く見えない人が、守護霊のパワー(庇護力)が弱まると、他の霊からの干渉を受け易くなってくるのだ。
子供の頃、霊感なんて殆どなかったボクだったが、如何なる訳か成人して後に霊感のようなものが身についた。
時々、存在感の強い霊や残留思念が強い霊などは見えてしまうようになった。
昼間はよほど強い霊や大量に蠢いている霊くらいしか見えないが、夕方以後陽が落ちると比較的見えるようになる。
更に深夜12時を過ぎて夜の空気が静寂に包まれると、また更に見え易くなる。
この「D」という店や、その周辺にも古いものが蠢いているのを以前から感じていたのだった。
おそらく戦時中に空襲などの犠牲になったこの辺りの住民や夜の女性たちだろうと思われた。
僕の場合、霊能力のようなものはなく、一般の人間よりほんの少しだけ感じる能力があるくらいなので、見ようとしても見えるわけではないし、それらの霊についての情報も調べようと思っても容易に霊視できるわけではない。
存在する場所に行くと、向こうのほうから現れてきたり、何らかの意思表示を示してくる。その霊の素性に関しても、そのイメージがふっと脳裏に浮かび、紙芝居のように次々とイメージが展開していくのだ。
霊の存在を信じない人も多いので、ムリに信じてほしいとは言わないが、見えてしまうというのも、僕にとっては紛れもない事実なのだ。
幼い頃から僕は夜や真っ暗闇に対する恐怖心というものがあまり無かった。現在になって振り返ってみると、闇に対する恐怖心が薄いということが、霊を感じることのできる条件の一つなのではないかと思う。
今後も、僕のこの霊を感じる能力については時々書くこともあるかもしれませんが、全て事実ですので、何とぞ宜しく、読んでやってください。
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