サボりまくりでした。
2003年8月14日 久しぶりの日記だ。
お盆休みに入る前になるべく稼いでおこうと、お仕事けっこう頑張っちゃってました。
…んなもので、毎日帰宅しても飯食って風呂入ってなんやかやしていたら、PCに触る時間もなくそのままいつのまにか眠ってしまう。
そんな毎日が続いていたので日記はおろか、PCの電源さえも入れないような日々が続いていたのだった。
休みに入って何とか忙しさも無くなったものの、2日間ほどは書き物(小説)のほうに没頭していてインターネットのほうは、来ているメールに1、2通、返事を出す程度で他は全くやっていなかった。
だがようやく落ち着き、なんとか日記も再開できそうだ。
お盆前は毎日お仕事だった。特に何ということのない平凡な毎日だったが、1日だけ大変なことがあった。
先週の木曜日(7日)、かなり暑い日だった。
現場は福間町、福間駅のすぐ近くだった。新築の
家への上水道管の引き込み作業で、道路の半分を規制してその中で道路に穴を掘って作業が行われ、僕はその区間を一人で片側交互通行誘導を行った。
朝、普通に仕事は始まった。
いつもと何の変わりもない普通の日だったが、この現場には日陰が殆どなく僅かに電柱1本分の影があるだけだった。
10時半頃から妙なだるさが全身を襲った。頭痛などはなく、顔や頭、全身が妙に熱くだるい。
そのうち、どんなに頑張っても身体のいろんなところの力が入らなくなってきた。
立っているのも辛くて、ふらついたりもした。
しまいには両足の力が瞬間的に抜けてしまい、その場にガクッと両膝を落としてしまったこともあった。
「ヤバイっ!これは熱射病だ」
左尻ポケットの中に入れていたペットボトルのお茶を飲んだ。が、もう半分近く無くなっていたし、昼休みまでまだ時間がある。今のうちに残っているお茶を全部飲んでしまっては昼休みまでかなり辛い。
そう考えて5分の1ほど残した。
だが症状は一向に軽くならない。遂には吐き気まで催してきた。
タオルを水で濡らし、顔に宛てながら、朦朧としそうになる意識を奮い立たせながらなんとか昼休みまで必死で頑張った。
昼休み、セブンに行き、大量にお茶と氷を買い、冷たいお茶をとにかく喉に流し込んだ。
昼休みだが食欲もなく、たった一つだけ買ったごましゃけおにぎりも半分も食べられない状態だった。食べ残したおにぎりを、もう捨てようと袋に入れた。まだ症状は治まらず、とにかくお茶を飲み続けた。
やっと体調の回復を感じてきたとき、気付くと水分を2リットル以上も摂取していた。何年か前に、確か大川市だったか、一度だけ気分が悪くなって熱射病になりかけたことがあったがそのときよりもかなり辛かった。
午後のことを考えてもう一度店内に入り、飲み物を大量に買い込んで現場に戻った。そしてタオルを水に濡らして頭に載せて、モロッコ人のように顔の大半をタオルで覆い、その上からヘルメットを被った。
比較的多くの水分を補給しながら仕事をしていたので、夕方5時半頃にはなんとか無事に仕事が終わった。
疲れた身体を車に押し込んで帰途に着いたが、会社に寄る気力もなく直接帰宅し、軽く晩飯を食べると入浴もせず、死ぬようにベッドに身を沈めた。
普段から熱射病は用心してはいたのだが、我ながら実に不覚だった。
お盆休みに入ってからの1日2日は、特にどこに行くでもなく、かなりインドアな生活を過ごした。
趣味で、よく小説など書いているのだが、久しぶりに新しいストーリーのアイディアが二つ、ほぼ同時に着想したので、忘れないうちに大まかなストーリーや設定を練っておこうと、すっかり没頭してしまったのだった。
そのストーリーに関してはもう少し、更に熟考、練り直して、形になってきたらこの日記でもストーリーの概略を書いてみたいと思う。
…んで、やっっと今日の日記。
今日は高校時代からの親友Oが、「手作りの料理を作ってやるから遊びに来いよ」というので彼のところへ久しぶりに行った。
「Oのところ」と言っても彼の自宅ではない。
実は彼の婚約者の部屋なのだ。
Oと婚約者のYさんは付き合い始めて4、5年になる。
国家公務員で昨年7月までは千葉に住み、丸の内のとある省庁に勤めたり、その関連施設へ出向したりしていたOが北区のとある公共施設で働いていたとき、職場恋愛で付き合い始めたのがYさんだった。
Yさんは気立てのよい、可愛らしい雰囲気の女性で、宮崎県出身だが小学生の頃は福岡市早良区に住んでいたらしい。僕のアパートから202号線バイパスに出てすぐのH小学校に通っていたらしく、その頃はA江3丁目に住んでいたという。
4年ほど前にOがYさんを連れてアパートに遊びにきたときには、この近辺の変わり様にずいぶん驚いていたが、H1丁目にある、この辺りではかなり美味しいと評判のパスタ店「H」に3人で入ったときは、小さいときにこの店に来た思い出を話してくれた。
一昨年頃からOとYさんは結婚を約束し、二人とも福岡に帰ってくるつもりで、Yさんは公務員を辞めて福祉の仕事をしたいと福岡の福祉専門学校を受験するために東京から1泊2日くらいで福岡に来たときも、僕の車であちこち送ったりした。
Oはずっと地元への転勤を希望していたのが昨年やっと念願叶い7月に帰ってきた。だから暫くは東京と福岡での遠距離交際が続いててたのだが、今年6月、彼女も遂に公務員を辞め、福岡へ来た。
O家は平尾近くのH町2丁目なのだが、現在彼女はそのOの斜め前に建つアパートに部屋を借りて住んでいる。
昨年、Oは彼女連れで帰郷し、両親にも紹介していたので、YさんはもうすっかりOの両親とも馴染んでいる。
最近はOも、帰宅している時間は、自宅には殆ど寝に帰るだけで、それ以外はYさんの部屋に居る時間のほうが多いそうだ。
自宅とYさんの部屋は本当に近く、よく「スープの冷めない距離」なんて言うが、さらに近い「カップラーメン持ってくる距離」というカンジだ。
以前からOと電話などで話す度に、「是非一度Yさんの部屋に遊びに来い」と言われていたのだった。
福岡に来て以来、Yさんとも一度も会っていなかった。
一昨日の「明日、料理作って待ってる」という電話の際、10月に結婚すると聞いて嬉しかった。二人のことを一番早くから知っていたし、精神的に最も近いところから二人を見守ってきた僕としては早くその報告を聞きたかったのだ。
昨年秋、Oが下らぬことで怒ってYさんを1週間以上も無視した時、何度も口を酸っぱくして彼を諭した。遂には彼女は「もう耐えられないから翌日、一番の飛行機で福岡へ行きます」と涙ながらに僕に電話してきた。
翌朝空港で彼女を出迎えてOの実家近くの喫茶店で待たせ、車で連れ出したOをその喫茶店に連れて行き、何とか仲直りさせた。そんなこともあった。
Oは社会人としては国家公務員として立派にやってはいるが、男としては精神的に頼り無い面もある。
婚約者に対して、些細なことで怒りをぶつけるなんて、男として最低だ。
親友として大好きで誰より信頼しているOだが、彼女や親に対する態度には時々許せないものがあり、その度に僕も意見するのだが、妙に依怙地なところがあって、絶対に自分から折れようとはせず、何とか自分を正当化しようとする癖がある。
これから結婚するのならそういうところを直せよ!O!
天ぷらと麻婆豆腐、美味しかった。ご馳走さま!
お盆休みに入る前になるべく稼いでおこうと、お仕事けっこう頑張っちゃってました。
…んなもので、毎日帰宅しても飯食って風呂入ってなんやかやしていたら、PCに触る時間もなくそのままいつのまにか眠ってしまう。
そんな毎日が続いていたので日記はおろか、PCの電源さえも入れないような日々が続いていたのだった。
休みに入って何とか忙しさも無くなったものの、2日間ほどは書き物(小説)のほうに没頭していてインターネットのほうは、来ているメールに1、2通、返事を出す程度で他は全くやっていなかった。
だがようやく落ち着き、なんとか日記も再開できそうだ。
お盆前は毎日お仕事だった。特に何ということのない平凡な毎日だったが、1日だけ大変なことがあった。
先週の木曜日(7日)、かなり暑い日だった。
現場は福間町、福間駅のすぐ近くだった。新築の
家への上水道管の引き込み作業で、道路の半分を規制してその中で道路に穴を掘って作業が行われ、僕はその区間を一人で片側交互通行誘導を行った。
朝、普通に仕事は始まった。
いつもと何の変わりもない普通の日だったが、この現場には日陰が殆どなく僅かに電柱1本分の影があるだけだった。
10時半頃から妙なだるさが全身を襲った。頭痛などはなく、顔や頭、全身が妙に熱くだるい。
そのうち、どんなに頑張っても身体のいろんなところの力が入らなくなってきた。
立っているのも辛くて、ふらついたりもした。
しまいには両足の力が瞬間的に抜けてしまい、その場にガクッと両膝を落としてしまったこともあった。
「ヤバイっ!これは熱射病だ」
左尻ポケットの中に入れていたペットボトルのお茶を飲んだ。が、もう半分近く無くなっていたし、昼休みまでまだ時間がある。今のうちに残っているお茶を全部飲んでしまっては昼休みまでかなり辛い。
そう考えて5分の1ほど残した。
だが症状は一向に軽くならない。遂には吐き気まで催してきた。
タオルを水で濡らし、顔に宛てながら、朦朧としそうになる意識を奮い立たせながらなんとか昼休みまで必死で頑張った。
昼休み、セブンに行き、大量にお茶と氷を買い、冷たいお茶をとにかく喉に流し込んだ。
昼休みだが食欲もなく、たった一つだけ買ったごましゃけおにぎりも半分も食べられない状態だった。食べ残したおにぎりを、もう捨てようと袋に入れた。まだ症状は治まらず、とにかくお茶を飲み続けた。
やっと体調の回復を感じてきたとき、気付くと水分を2リットル以上も摂取していた。何年か前に、確か大川市だったか、一度だけ気分が悪くなって熱射病になりかけたことがあったがそのときよりもかなり辛かった。
午後のことを考えてもう一度店内に入り、飲み物を大量に買い込んで現場に戻った。そしてタオルを水に濡らして頭に載せて、モロッコ人のように顔の大半をタオルで覆い、その上からヘルメットを被った。
比較的多くの水分を補給しながら仕事をしていたので、夕方5時半頃にはなんとか無事に仕事が終わった。
疲れた身体を車に押し込んで帰途に着いたが、会社に寄る気力もなく直接帰宅し、軽く晩飯を食べると入浴もせず、死ぬようにベッドに身を沈めた。
普段から熱射病は用心してはいたのだが、我ながら実に不覚だった。
お盆休みに入ってからの1日2日は、特にどこに行くでもなく、かなりインドアな生活を過ごした。
趣味で、よく小説など書いているのだが、久しぶりに新しいストーリーのアイディアが二つ、ほぼ同時に着想したので、忘れないうちに大まかなストーリーや設定を練っておこうと、すっかり没頭してしまったのだった。
そのストーリーに関してはもう少し、更に熟考、練り直して、形になってきたらこの日記でもストーリーの概略を書いてみたいと思う。
…んで、やっっと今日の日記。
今日は高校時代からの親友Oが、「手作りの料理を作ってやるから遊びに来いよ」というので彼のところへ久しぶりに行った。
「Oのところ」と言っても彼の自宅ではない。
実は彼の婚約者の部屋なのだ。
Oと婚約者のYさんは付き合い始めて4、5年になる。
国家公務員で昨年7月までは千葉に住み、丸の内のとある省庁に勤めたり、その関連施設へ出向したりしていたOが北区のとある公共施設で働いていたとき、職場恋愛で付き合い始めたのがYさんだった。
Yさんは気立てのよい、可愛らしい雰囲気の女性で、宮崎県出身だが小学生の頃は福岡市早良区に住んでいたらしい。僕のアパートから202号線バイパスに出てすぐのH小学校に通っていたらしく、その頃はA江3丁目に住んでいたという。
4年ほど前にOがYさんを連れてアパートに遊びにきたときには、この近辺の変わり様にずいぶん驚いていたが、H1丁目にある、この辺りではかなり美味しいと評判のパスタ店「H」に3人で入ったときは、小さいときにこの店に来た思い出を話してくれた。
一昨年頃からOとYさんは結婚を約束し、二人とも福岡に帰ってくるつもりで、Yさんは公務員を辞めて福祉の仕事をしたいと福岡の福祉専門学校を受験するために東京から1泊2日くらいで福岡に来たときも、僕の車であちこち送ったりした。
Oはずっと地元への転勤を希望していたのが昨年やっと念願叶い7月に帰ってきた。だから暫くは東京と福岡での遠距離交際が続いててたのだが、今年6月、彼女も遂に公務員を辞め、福岡へ来た。
O家は平尾近くのH町2丁目なのだが、現在彼女はそのOの斜め前に建つアパートに部屋を借りて住んでいる。
昨年、Oは彼女連れで帰郷し、両親にも紹介していたので、YさんはもうすっかりOの両親とも馴染んでいる。
最近はOも、帰宅している時間は、自宅には殆ど寝に帰るだけで、それ以外はYさんの部屋に居る時間のほうが多いそうだ。
自宅とYさんの部屋は本当に近く、よく「スープの冷めない距離」なんて言うが、さらに近い「カップラーメン持ってくる距離」というカンジだ。
以前からOと電話などで話す度に、「是非一度Yさんの部屋に遊びに来い」と言われていたのだった。
福岡に来て以来、Yさんとも一度も会っていなかった。
一昨日の「明日、料理作って待ってる」という電話の際、10月に結婚すると聞いて嬉しかった。二人のことを一番早くから知っていたし、精神的に最も近いところから二人を見守ってきた僕としては早くその報告を聞きたかったのだ。
昨年秋、Oが下らぬことで怒ってYさんを1週間以上も無視した時、何度も口を酸っぱくして彼を諭した。遂には彼女は「もう耐えられないから翌日、一番の飛行機で福岡へ行きます」と涙ながらに僕に電話してきた。
翌朝空港で彼女を出迎えてOの実家近くの喫茶店で待たせ、車で連れ出したOをその喫茶店に連れて行き、何とか仲直りさせた。そんなこともあった。
Oは社会人としては国家公務員として立派にやってはいるが、男としては精神的に頼り無い面もある。
婚約者に対して、些細なことで怒りをぶつけるなんて、男として最低だ。
親友として大好きで誰より信頼しているOだが、彼女や親に対する態度には時々許せないものがあり、その度に僕も意見するのだが、妙に依怙地なところがあって、絶対に自分から折れようとはせず、何とか自分を正当化しようとする癖がある。
これから結婚するのならそういうところを直せよ!O!
天ぷらと麻婆豆腐、美味しかった。ご馳走さま!
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