残業反対っ!
2003年7月23日「こら〜っ!N社っ!てめーっ、たいがいにせえーよっ!」
てな言葉、どんなに思っていても、口に出しては絶対言えない。
先週の土曜日は夜9時まで、今日は8時まで残業なんて…。
遅くなるなら前日から言っといて欲しいものだ。
普段は夕方5時くらいで終わるのに、いきなり延びて8時9時なんて非常識にも程がある。
普通に、遅くても7時〜8時頃には帰宅しているのならば問題はないが、当日突然に遅くなってしまったら、テレビ番組の留守録も出来やしないっ!
一人暮らしなんだぞっ!電話して、テレビ番組録画を頼む家族なんて居ないんだっ!
帰宅して大急ぎでTV点けたら『ディスカバ!99』の半分過ぎていた。
『クイズ!ヘキサゴン』は丸々見られなかったし…。
今日の『ヘキサゴン』は、まぁなんとか我慢できるとしても、先週の土曜日に『めちゃイケ』と『世界ふしぎ発見!』が見られなかった精神的ダメージはかなり大きく、N社に慰謝料を請求したいくらいだ。
今朝一発目の仕事は昼前には終了した。
だが、他社なら昼くらいで仕事が終わるようなことも珍しくはないが、N社の仕事でコレで終わりなんてありえない。一度N社に戻り、トラックに積んである道具を乗せ変えて、二発目の仕事に再出発。
これも2時間半ほどで終了。
またまたN社に戻って、作業員たちは何かの準備をし始めた。
何が何だかわからぬままに手伝っていると、後になって夜間作業の準備だと分かった。
今夜緊急の夜間工事が入ったらしく、
ウチの会社にも夜勤の隊員を手配したらしいのだが、夜勤メンバーが来るまで、昼のメンバーが続けるしかないということになった。
隊員交替でそのまま帰ることが出来るよう、とりあえず僕の車に3人乗ってN社から焼く1時間要する現場まで移動し、早速作業を始めるとのことで、僕らはそれに伴なう片側交互通行に取り掛かった。
交替メンバー、7時に現地到着の段取りだったのが、到着したのは約40分遅れ。
8時ごろ、ようやく帰られる状態になった…かと思うと、メンバー交替の段取りにトラブル発生!
トラブルがクリアにならぬまま、結局8時半ごろ、やっと現場を出発できた。
車をぶっ飛ばしまくりまくりすてぃ。(失礼っ!)
そのまま、(お金が勿体無いけど、一刻も早く帰りたいので)都市高に突入!
夜で車がスイスイ流れるのをいいことにかなり飛ばしてしまった。
一人ならば百道ランプで降りるところだが、同乗者であるYクンが居たので、彼を下ろすことを考えて西公園ランプで降りた。
途中晩メシを買って、帰宅したのは9時半過ぎ。
で、明日の仕事は北九州小倉に朝8時集合だって…?
ハハハ…もう笑うしかない。
元々僕は、以前にも記したことがあるように、自他共に認める筋金入りの「超・テレビっ子」。
アパートに居る時間は、睡眠時間も含めて常にテレビの電源はON!
出かける間際に電源を消し、帰宅して蛍光灯をつけるとほぼ同時にテレビも電源を入れる。
CATVの毎月の料金(有料チャンネル含む)+インターネット料金の毎月1万2千円ちょっとという金額も、実際なんとか支払っている状態だが、支払うこと自体は全く惜しいとは思わない。
だって大好きなテレビが、地上派含めて51チャンネルも見られる現状はかなり嬉し楽し大好きだもん。スカパーのチャンネルなんか、もっといっぱい見られるようになって欲しいくらいだし…
僕にとっては仕事時間は朝から夕方にかけて…。夜は完全なプライベートタイム。
だから夜勤も、会社からどんなに頼まれても、基本的には一切断っている。
残業になりそうになると、いつも気が気でない。
残業代なんて要らないから残業だけは勘弁して欲しい…と、日々切望する僕だった。
てな言葉、どんなに思っていても、口に出しては絶対言えない。
先週の土曜日は夜9時まで、今日は8時まで残業なんて…。
遅くなるなら前日から言っといて欲しいものだ。
普段は夕方5時くらいで終わるのに、いきなり延びて8時9時なんて非常識にも程がある。
普通に、遅くても7時〜8時頃には帰宅しているのならば問題はないが、当日突然に遅くなってしまったら、テレビ番組の留守録も出来やしないっ!
一人暮らしなんだぞっ!電話して、テレビ番組録画を頼む家族なんて居ないんだっ!
帰宅して大急ぎでTV点けたら『ディスカバ!99』の半分過ぎていた。
『クイズ!ヘキサゴン』は丸々見られなかったし…。
今日の『ヘキサゴン』は、まぁなんとか我慢できるとしても、先週の土曜日に『めちゃイケ』と『世界ふしぎ発見!』が見られなかった精神的ダメージはかなり大きく、N社に慰謝料を請求したいくらいだ。
今朝一発目の仕事は昼前には終了した。
だが、他社なら昼くらいで仕事が終わるようなことも珍しくはないが、N社の仕事でコレで終わりなんてありえない。一度N社に戻り、トラックに積んである道具を乗せ変えて、二発目の仕事に再出発。
これも2時間半ほどで終了。
またまたN社に戻って、作業員たちは何かの準備をし始めた。
何が何だかわからぬままに手伝っていると、後になって夜間作業の準備だと分かった。
今夜緊急の夜間工事が入ったらしく、
ウチの会社にも夜勤の隊員を手配したらしいのだが、夜勤メンバーが来るまで、昼のメンバーが続けるしかないということになった。
隊員交替でそのまま帰ることが出来るよう、とりあえず僕の車に3人乗ってN社から焼く1時間要する現場まで移動し、早速作業を始めるとのことで、僕らはそれに伴なう片側交互通行に取り掛かった。
交替メンバー、7時に現地到着の段取りだったのが、到着したのは約40分遅れ。
8時ごろ、ようやく帰られる状態になった…かと思うと、メンバー交替の段取りにトラブル発生!
トラブルがクリアにならぬまま、結局8時半ごろ、やっと現場を出発できた。
車をぶっ飛ばしまくりまくりすてぃ。(失礼っ!)
そのまま、(お金が勿体無いけど、一刻も早く帰りたいので)都市高に突入!
夜で車がスイスイ流れるのをいいことにかなり飛ばしてしまった。
一人ならば百道ランプで降りるところだが、同乗者であるYクンが居たので、彼を下ろすことを考えて西公園ランプで降りた。
途中晩メシを買って、帰宅したのは9時半過ぎ。
で、明日の仕事は北九州小倉に朝8時集合だって…?
ハハハ…もう笑うしかない。
元々僕は、以前にも記したことがあるように、自他共に認める筋金入りの「超・テレビっ子」。
アパートに居る時間は、睡眠時間も含めて常にテレビの電源はON!
出かける間際に電源を消し、帰宅して蛍光灯をつけるとほぼ同時にテレビも電源を入れる。
CATVの毎月の料金(有料チャンネル含む)+インターネット料金の毎月1万2千円ちょっとという金額も、実際なんとか支払っている状態だが、支払うこと自体は全く惜しいとは思わない。
だって大好きなテレビが、地上派含めて51チャンネルも見られる現状はかなり嬉し楽し大好きだもん。スカパーのチャンネルなんか、もっといっぱい見られるようになって欲しいくらいだし…
僕にとっては仕事時間は朝から夕方にかけて…。夜は完全なプライベートタイム。
だから夜勤も、会社からどんなに頼まれても、基本的には一切断っている。
残業になりそうになると、いつも気が気でない。
残業代なんて要らないから残業だけは勘弁して欲しい…と、日々切望する僕だった。
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災害が残して行ったもの
2003年7月22日 マスクをして仕事をすればよかったかなぁ…
と思ったのも後の祭り、既に大量の粉塵を吸い込んでしまったかもしれない。
今日、僕は先週土曜に残業をしたのと同じ、国道3号線に居た。
毎度お馴染みN社は、地元では国道の維持管理に関する諸々の作業を行っている。
御笠川の氾濫で川の周囲に流れ出した河水と共に川底に沈殿していた大量の汚泥まで大量に溢れ出した。
日時が過ぎて乾燥してしまった汚泥は車が通るたびに、そのタイヤで空中に舞い上がり、都会の汚れた空気を更に汚染してしまった。
川底のヘドロのような汚泥だから、バクテリアや悪い菌が大量に空気中に拡散してしまったかもしれない。
事実、帰宅後にティッシュと綿棒で鼻腔の中を掃除するとティッシュは真っ黒になった。
近隣住民や、こういう清掃作業によって、国道3号線のこの界隈も、少しずつではあるが、元通りの景色を取り戻しつつある。
考えて見ると4年前の災害の際も、同様の過程を経て元通りになったんだなぁ…なんて思った。
それでも乾燥した汚泥は車道といわず歩道、各敷地内といわず、まだ大量に残っていて、歩道のインターロッキング(歩道に敷き詰められているタイル状のレンガ)や側溝の蓋、道路の端などに頑固にこびりついているところも多い。
箒で刷いたり角型スコップで剥ぎ取ったりしては見るもののなかなか取れ難いものもある。
「いっそのこと、もう一度バーッと本降りになったら、ずいぶん洗い流されてキレイになるのかも知れないねぇ」
同僚のOクンにそんなことを言っていたら、本当に大粒の雨が降り出した。
晴れ男パワーはやっぱりすごいようだ。
ほんの20分程度の通り雨だったが、思ったとおり、少しは流されてきれいになった。
やはり本格的な雨が、あと2〜3回くらいは降ってくれなければ、完全に元通りに復帰するのは難しいのかも…
と思ったのも後の祭り、既に大量の粉塵を吸い込んでしまったかもしれない。
今日、僕は先週土曜に残業をしたのと同じ、国道3号線に居た。
毎度お馴染みN社は、地元では国道の維持管理に関する諸々の作業を行っている。
御笠川の氾濫で川の周囲に流れ出した河水と共に川底に沈殿していた大量の汚泥まで大量に溢れ出した。
日時が過ぎて乾燥してしまった汚泥は車が通るたびに、そのタイヤで空中に舞い上がり、都会の汚れた空気を更に汚染してしまった。
川底のヘドロのような汚泥だから、バクテリアや悪い菌が大量に空気中に拡散してしまったかもしれない。
事実、帰宅後にティッシュと綿棒で鼻腔の中を掃除するとティッシュは真っ黒になった。
近隣住民や、こういう清掃作業によって、国道3号線のこの界隈も、少しずつではあるが、元通りの景色を取り戻しつつある。
考えて見ると4年前の災害の際も、同様の過程を経て元通りになったんだなぁ…なんて思った。
それでも乾燥した汚泥は車道といわず歩道、各敷地内といわず、まだ大量に残っていて、歩道のインターロッキング(歩道に敷き詰められているタイル状のレンガ)や側溝の蓋、道路の端などに頑固にこびりついているところも多い。
箒で刷いたり角型スコップで剥ぎ取ったりしては見るもののなかなか取れ難いものもある。
「いっそのこと、もう一度バーッと本降りになったら、ずいぶん洗い流されてキレイになるのかも知れないねぇ」
同僚のOクンにそんなことを言っていたら、本当に大粒の雨が降り出した。
晴れ男パワーはやっぱりすごいようだ。
ほんの20分程度の通り雨だったが、思ったとおり、少しは流されてきれいになった。
やはり本格的な雨が、あと2〜3回くらいは降ってくれなければ、完全に元通りに復帰するのは難しいのかも…
信じますか?
2003年7月21日「アキラぁ〜。あんた何言いよるとねぇ?」
「えっ!?何が?」
「あんた今なんか喋りよったろうもん?」
「んーにゃ。なんも…」
「中からなんか声の聞こえよったけん、あんたが何か独り言でも言いよるとかいな?と思ったっちゃばってん…」
「な〜んもゆーとらんよ」
今日は以前から、また中洲の掃除を手伝ってくれと母に頼まれていたので、休みだというのに7時に起きて8時半過ぎには家を出た。約束していた9時には多少余裕を持って中洲に着いた。
以前の日記にも記したことがあったが、西中洲のサパークラブ「D」の掃除をたまに手伝うことがある。店内、入口〜通路、客席など、カーペットが敷かれている広いスペース全体に掃除機を掛けるのである。
店の入口の外で玄関外辺りを掃除していた母が中に入ってくるなり、中で人の話し声が聞こえたと言って、ボクに独り言を言っていたのか?と聞いてきたのだった。
独り言も何も一声も発していないと答えると、
「そうね。おかしかねぇ…」
そう言って母は再び掃除を再開した。
掃除の手伝いも終わり、母を車に乗せて出発した。
福岡市南区に隣接する那珂川町の奥の山の中腹にあるペット寺院「E」を目指していた。
以前実家で飼っていた「ポンタ」と「ミー」の遺骨と位牌を預けてあるのだった。
管理費の1年間の期限が7月で切れるのて、新年度の管理費を支払いに行くのだった。
車を走らせて間もなく、
「ねぇ、最近、身体の調子、あんまり良くないっちゃない?身体疲れとらん?」
尋ねてみると母は不思議そうに
「なんでね?」
「いいや、さっき人の声が聞こえたって言いよったけんね、もしかしたらあの辺の浮遊霊の声でも聞こえたかと思って…」
人間というのは普段、霊体験など殆どない人が霊やその声をを見たり聞いたり、また霊障を受けたりするときというのは身体の基礎体力が著しく劣っていることが多いので、もしかしたらと思って聞いてみたのだった。
「うん、最近ちょっとキツかねぇ…」
「やっぱり…」
人間の体調は守護霊のパワーのバイオリズムに比例する。守護霊のパワーが強いときは霊なんて全く見えない人が、守護霊のパワー(庇護力)が弱まると、他の霊からの干渉を受け易くなってくるのだ。
子供の頃、霊感なんて殆どなかったボクだったが、如何なる訳か成人して後に霊感のようなものが身についた。
時々、存在感の強い霊や残留思念が強い霊などは見えてしまうようになった。
昼間はよほど強い霊や大量に蠢いている霊くらいしか見えないが、夕方以後陽が落ちると比較的見えるようになる。
更に深夜12時を過ぎて夜の空気が静寂に包まれると、また更に見え易くなる。
この「D」という店や、その周辺にも古いものが蠢いているのを以前から感じていたのだった。
おそらく戦時中に空襲などの犠牲になったこの辺りの住民や夜の女性たちだろうと思われた。
僕の場合、霊能力のようなものはなく、一般の人間よりほんの少しだけ感じる能力があるくらいなので、見ようとしても見えるわけではないし、それらの霊についての情報も調べようと思っても容易に霊視できるわけではない。
存在する場所に行くと、向こうのほうから現れてきたり、何らかの意思表示を示してくる。その霊の素性に関しても、そのイメージがふっと脳裏に浮かび、紙芝居のように次々とイメージが展開していくのだ。
霊の存在を信じない人も多いので、ムリに信じてほしいとは言わないが、見えてしまうというのも、僕にとっては紛れもない事実なのだ。
幼い頃から僕は夜や真っ暗闇に対する恐怖心というものがあまり無かった。現在になって振り返ってみると、闇に対する恐怖心が薄いということが、霊を感じることのできる条件の一つなのではないかと思う。
今後も、僕のこの霊を感じる能力については時々書くこともあるかもしれませんが、全て事実ですので、何とぞ宜しく、読んでやってください。
「えっ!?何が?」
「あんた今なんか喋りよったろうもん?」
「んーにゃ。なんも…」
「中からなんか声の聞こえよったけん、あんたが何か独り言でも言いよるとかいな?と思ったっちゃばってん…」
「な〜んもゆーとらんよ」
今日は以前から、また中洲の掃除を手伝ってくれと母に頼まれていたので、休みだというのに7時に起きて8時半過ぎには家を出た。約束していた9時には多少余裕を持って中洲に着いた。
以前の日記にも記したことがあったが、西中洲のサパークラブ「D」の掃除をたまに手伝うことがある。店内、入口〜通路、客席など、カーペットが敷かれている広いスペース全体に掃除機を掛けるのである。
店の入口の外で玄関外辺りを掃除していた母が中に入ってくるなり、中で人の話し声が聞こえたと言って、ボクに独り言を言っていたのか?と聞いてきたのだった。
独り言も何も一声も発していないと答えると、
「そうね。おかしかねぇ…」
そう言って母は再び掃除を再開した。
掃除の手伝いも終わり、母を車に乗せて出発した。
福岡市南区に隣接する那珂川町の奥の山の中腹にあるペット寺院「E」を目指していた。
以前実家で飼っていた「ポンタ」と「ミー」の遺骨と位牌を預けてあるのだった。
管理費の1年間の期限が7月で切れるのて、新年度の管理費を支払いに行くのだった。
車を走らせて間もなく、
「ねぇ、最近、身体の調子、あんまり良くないっちゃない?身体疲れとらん?」
尋ねてみると母は不思議そうに
「なんでね?」
「いいや、さっき人の声が聞こえたって言いよったけんね、もしかしたらあの辺の浮遊霊の声でも聞こえたかと思って…」
人間というのは普段、霊体験など殆どない人が霊やその声をを見たり聞いたり、また霊障を受けたりするときというのは身体の基礎体力が著しく劣っていることが多いので、もしかしたらと思って聞いてみたのだった。
「うん、最近ちょっとキツかねぇ…」
「やっぱり…」
人間の体調は守護霊のパワーのバイオリズムに比例する。守護霊のパワーが強いときは霊なんて全く見えない人が、守護霊のパワー(庇護力)が弱まると、他の霊からの干渉を受け易くなってくるのだ。
子供の頃、霊感なんて殆どなかったボクだったが、如何なる訳か成人して後に霊感のようなものが身についた。
時々、存在感の強い霊や残留思念が強い霊などは見えてしまうようになった。
昼間はよほど強い霊や大量に蠢いている霊くらいしか見えないが、夕方以後陽が落ちると比較的見えるようになる。
更に深夜12時を過ぎて夜の空気が静寂に包まれると、また更に見え易くなる。
この「D」という店や、その周辺にも古いものが蠢いているのを以前から感じていたのだった。
おそらく戦時中に空襲などの犠牲になったこの辺りの住民や夜の女性たちだろうと思われた。
僕の場合、霊能力のようなものはなく、一般の人間よりほんの少しだけ感じる能力があるくらいなので、見ようとしても見えるわけではないし、それらの霊についての情報も調べようと思っても容易に霊視できるわけではない。
存在する場所に行くと、向こうのほうから現れてきたり、何らかの意思表示を示してくる。その霊の素性に関しても、そのイメージがふっと脳裏に浮かび、紙芝居のように次々とイメージが展開していくのだ。
霊の存在を信じない人も多いので、ムリに信じてほしいとは言わないが、見えてしまうというのも、僕にとっては紛れもない事実なのだ。
幼い頃から僕は夜や真っ暗闇に対する恐怖心というものがあまり無かった。現在になって振り返ってみると、闇に対する恐怖心が薄いということが、霊を感じることのできる条件の一つなのではないかと思う。
今後も、僕のこの霊を感じる能力については時々書くこともあるかもしれませんが、全て事実ですので、何とぞ宜しく、読んでやってください。
素晴らしい出会い
2003年7月20日 昨夜、遅くに帰宅し、なんやかややっていて、結局眠りに着いたのは2時過ぎ。
だから朝もいつもの日曜日ならもっと遅くまで眠っていたいところだけど、今日は特別。
1ヶ月以上前から今日の日を楽しみにしていたのだ。
というのも、由佳さんのHP『由佳もふしぎだらけ』やファンサイト『ふしぎの国の由佳』、由佳さんが以前漫画連載していた『BE-LOVE net』掲示板などで仲良くさせて頂いているS・K(本名をイニシャル化)さんと初めてお会いしたのです。
S・Kさんは大分市在住で、だいたい月イチくらいの割合いで福岡にも良く来られているとのこと。
今日も他の用事で福岡市博多区の西月隈近くにある某外車ディーラーへ行くというので、そのついでにお会いしましょう。ということになり先月くらいから約束して、彼の目的地からほど近いファミレス『J』西月隈店で待ち合わせした。
“西月隈”の文字を見て、昨日の日記を読まれた方ならばピンと来られたことでしょう。
そうです。N社の資材置き場からすぐ、約50mくらいしか離れていない場所なんです。
11時の待ち合わせで、まだ時間に余裕があったので近くにあるセルフのガソリンスタンドで機械洗車をした。
昨日の御笠川氾濫で、国道3号線や県道112号線はまだ道端に大量の汚泥が残っていたり、路面にこびりついたその乾燥したものが砂埃を発生させてしまい、愛車のボディはすっかり汚れていたのだった。
洗車してから行っても、『J』に着いたのは約束のおよそ10分前だった。
席に着いて心待ちに待った。
S・Kさんは30分ほど遅れて到着した。
なかなか来ないので心配になり、彼のケータイに2度ほど電話してみたのだが、ケータイから自宅のほうに自動転送になり、留守番電話になってしまう。
事情を聞くと、ケータイを自宅に忘れてきてしまったらしい。
なんと、驚いたことに彼は大分市から高速を利用せず、国道210号線〜国道386号線(甘木市は甘木バイパスを利用して市街地を迂回したらしい)を利用して針摺から国道3号線を北上してきたということだった。夜須町辺りから存外に渋滞していたらしく、遅れたことを頻りに深謝しておられた。
僕が以前、この日記に時間に関して厳格だということを書いたので、それを読んでおられたのだろう。申し訳ないことを書いてしまったなぁ…と少し反省。
実家が農家で田んぼを所有しておられるらしく、
「実家で収穫したものです」
と、お米をお土産に持ってきてくれた。
本当にありがとうございます。<m(__)m>
初対面の第一印象は、「バイタリティと個性がにじみ出ている方だなぁ…」というカンジだった。
実際会って話してみると、“自分自身”というものをしっかり持っていて、更に自分に自信を持っている…といっても全く自信過剰ではなく、むしろ謙虚さも持ち合わせていて、一見相反するように思える“自信”と“謙虚さ”をバランスよく備えている不思議な魅力を持った男性だった。
九州TTDという団体を主宰しているだけあってリーダーシップと行動力も大いに感じられた。
人生経験も豊富で色々なことを良く知っていて、その博識ぶりには圧倒された。特に車、カーレース、音楽、AV(オーディオビジュアル)に関する造詣の深さは専門家並みで、あまりディープな細かい知識は、なんとか自分なりに解釈はしたが、おそらく半分も理解できていない状態だった。
雑学には結構自信があるほうだが、僕の場合「広く浅く」なのに対して、彼の場合は「広く深く」だった。
比較的多弁な方でしたが、多弁な人にありがちな「話し上手聞き下手」なところは全く無く、聞き上手でもあって、ちゃんと相手の話を聞いて適確な受け答えをされていて、そんな彼の言葉一つ一つに充分な説得力が備わっていた。九州TTDのメンバーから大変慕われているであろうことが感じられ、また主宰をしておられるのが納得できる人格者だった。
奥さんもカリスマミュージシャンの超一流&高名な売れっ子音楽プロデューサー兼作曲家の某M氏との意外な交友関係なんかも聞けたし、もちろん、由佳さんの話題もたくさん話した。
途中、共にランチ&フリードリンクのセットをオーダーし、食べながらも話を続けた。フリードリンクなので、「元を取らなきゃ」とばかりにドリンク類も結構飲んで、ちょっとお腹タポタポ(ゲップ…)状態になってしまった。
あまりに話が楽しくてつい時間を忘れてしまい、気が付くと午後5時をとっくに過ぎていた。
ランチセットとフリードリンクで6時間近くも粘る30過ぎの男二人組って、ファミレスの店側からすると、迷惑&ちょっとキモい客だったかも…(^_^;)
店を出て駐車所でも、20分以上は話し込んでしまった。
電話でも長電話は全くしないし、友人と話しても話しっ放しで3時間以上も過ごすことはないが、今日ほど純粋に会話を楽しんだ経験は殆どなかった。
S・Kさんのお陰で、今日は本当に、貴重かつ有意義な一日になった。
S・Kさん、本当にありがとうございました。
また、機会があったら会いましょう。
今度は由佳さんのHPの常連さんのうち、九州陣勢揃いで和気藹々と楽しく『川幡由佳さんを応援する会・九州支部第1回総会』なんてやってみたいなぁ。
だから朝もいつもの日曜日ならもっと遅くまで眠っていたいところだけど、今日は特別。
1ヶ月以上前から今日の日を楽しみにしていたのだ。
というのも、由佳さんのHP『由佳もふしぎだらけ』やファンサイト『ふしぎの国の由佳』、由佳さんが以前漫画連載していた『BE-LOVE net』掲示板などで仲良くさせて頂いているS・K(本名をイニシャル化)さんと初めてお会いしたのです。
S・Kさんは大分市在住で、だいたい月イチくらいの割合いで福岡にも良く来られているとのこと。
今日も他の用事で福岡市博多区の西月隈近くにある某外車ディーラーへ行くというので、そのついでにお会いしましょう。ということになり先月くらいから約束して、彼の目的地からほど近いファミレス『J』西月隈店で待ち合わせした。
“西月隈”の文字を見て、昨日の日記を読まれた方ならばピンと来られたことでしょう。
そうです。N社の資材置き場からすぐ、約50mくらいしか離れていない場所なんです。
11時の待ち合わせで、まだ時間に余裕があったので近くにあるセルフのガソリンスタンドで機械洗車をした。
昨日の御笠川氾濫で、国道3号線や県道112号線はまだ道端に大量の汚泥が残っていたり、路面にこびりついたその乾燥したものが砂埃を発生させてしまい、愛車のボディはすっかり汚れていたのだった。
洗車してから行っても、『J』に着いたのは約束のおよそ10分前だった。
席に着いて心待ちに待った。
S・Kさんは30分ほど遅れて到着した。
なかなか来ないので心配になり、彼のケータイに2度ほど電話してみたのだが、ケータイから自宅のほうに自動転送になり、留守番電話になってしまう。
事情を聞くと、ケータイを自宅に忘れてきてしまったらしい。
なんと、驚いたことに彼は大分市から高速を利用せず、国道210号線〜国道386号線(甘木市は甘木バイパスを利用して市街地を迂回したらしい)を利用して針摺から国道3号線を北上してきたということだった。夜須町辺りから存外に渋滞していたらしく、遅れたことを頻りに深謝しておられた。
僕が以前、この日記に時間に関して厳格だということを書いたので、それを読んでおられたのだろう。申し訳ないことを書いてしまったなぁ…と少し反省。
実家が農家で田んぼを所有しておられるらしく、
「実家で収穫したものです」
と、お米をお土産に持ってきてくれた。
本当にありがとうございます。<m(__)m>
初対面の第一印象は、「バイタリティと個性がにじみ出ている方だなぁ…」というカンジだった。
実際会って話してみると、“自分自身”というものをしっかり持っていて、更に自分に自信を持っている…といっても全く自信過剰ではなく、むしろ謙虚さも持ち合わせていて、一見相反するように思える“自信”と“謙虚さ”をバランスよく備えている不思議な魅力を持った男性だった。
九州TTDという団体を主宰しているだけあってリーダーシップと行動力も大いに感じられた。
人生経験も豊富で色々なことを良く知っていて、その博識ぶりには圧倒された。特に車、カーレース、音楽、AV(オーディオビジュアル)に関する造詣の深さは専門家並みで、あまりディープな細かい知識は、なんとか自分なりに解釈はしたが、おそらく半分も理解できていない状態だった。
雑学には結構自信があるほうだが、僕の場合「広く浅く」なのに対して、彼の場合は「広く深く」だった。
比較的多弁な方でしたが、多弁な人にありがちな「話し上手聞き下手」なところは全く無く、聞き上手でもあって、ちゃんと相手の話を聞いて適確な受け答えをされていて、そんな彼の言葉一つ一つに充分な説得力が備わっていた。九州TTDのメンバーから大変慕われているであろうことが感じられ、また主宰をしておられるのが納得できる人格者だった。
奥さんもカリスマミュージシャンの超一流&高名な売れっ子音楽プロデューサー兼作曲家の某M氏との意外な交友関係なんかも聞けたし、もちろん、由佳さんの話題もたくさん話した。
途中、共にランチ&フリードリンクのセットをオーダーし、食べながらも話を続けた。フリードリンクなので、「元を取らなきゃ」とばかりにドリンク類も結構飲んで、ちょっとお腹タポタポ(ゲップ…)状態になってしまった。
あまりに話が楽しくてつい時間を忘れてしまい、気が付くと午後5時をとっくに過ぎていた。
ランチセットとフリードリンクで6時間近くも粘る30過ぎの男二人組って、ファミレスの店側からすると、迷惑&ちょっとキモい客だったかも…(^_^;)
店を出て駐車所でも、20分以上は話し込んでしまった。
電話でも長電話は全くしないし、友人と話しても話しっ放しで3時間以上も過ごすことはないが、今日ほど純粋に会話を楽しんだ経験は殆どなかった。
S・Kさんのお陰で、今日は本当に、貴重かつ有意義な一日になった。
S・Kさん、本当にありがとうございました。
また、機会があったら会いましょう。
今度は由佳さんのHPの常連さんのうち、九州陣勢揃いで和気藹々と楽しく『川幡由佳さんを応援する会・九州支部第1回総会』なんてやってみたいなぁ。
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博多駅大災害っ!!
2003年7月19日チャ〜ララッ、チャララ チャ〜ララッ、チャララ
チャ〜ラララララ、ラーラララァ〜
部屋を出ようとした瞬間、ケータイが鳴り始めた。
思わず音楽に併せて、
♪traveling 君を
tarveling 乗せて
ア〜スファルトをて〜らすよぉ〜♪
歌いそうになる衝動を堪えて電話に出ると、
「6時45分にYクンを、城南線のいつもの場所で拾って会社に来てくれ」
「あれ?N社の筑紫野事務所じゃないの?」
「直接八木山の現場に行って貰うかもしれないから、とりあえず会社に…」
待ち合わせ場所に30分には到着。少し待ったが、35分くらいには彼はやってきた。
時間にルーズな隊員が多い中、いつも早めに到着する彼はなかなか見込みのあるヤツだ。
会社に行くためには、まず住吉通りからパチンコ店の横を左折する。そしてX本目を右に曲がる…
と、えっ!?
道路一面が黄土色!?
いや、黄土色に汚れた濁流が流れていた。
両側のタイヤは1メートル近く濁水を跳ね上げ進み、会社のビル前に駐めた。
車は孤島状態で深さは約15〜20センチ。車内浸水の危険はない車高なのでひとまず安心。
靴を脱ぎ靴下をポケットにねじ込んで裸足で車を降りた。
会社に到着すると
「どうしたんだ?その足…」
K(警備責任者)が半笑いで聞くので
「えっ!?…だって下のあの状況じゃ、こうやって来るしかないっしょ?」
「下の状況?」
彼が出勤してきた約10分ほど前にはまだ水なんて一滴すら存在しなかったらしい。
下りてきて現状を目の当たりにすると「えーっ!!」おったまげーだった。
「4年前の博多駅前周辺の大洪水のときでもこんなとこまで来なかったぞ」
会社のTVを点けニュース番組で、初めて状況が理解できたようだ。
4年前の大雨同様に、御笠川が氾濫したらしい。
暫く会社で指示を待ち、結局、粕屋警察署前のバス停でもう一人、隊員Yクン…(あれ?Yクンが二人になっちゃうなぁ…じゃあ「Y田」…って、二人とも「Y田」だなぁ…。じゃあ、最初に乗せてきた彼を「Yクン」、粕屋署前バス停で拾うほうをベテランなので「Yさん」とする…というワケで、)Yさんを乗せて八木山のほうへ直接向かうことになった。
…が、会社を出て間もなく、博多駅方面への道が全面通行止めで迂回させられ、止むを得ずルート変更。だが迂回させられた車が集中してしまい大渋滞。
ノロノロノロノロ、なんとか進みながら百年橋通りに出た。
東に向かうべく再度亀の行列の一員に加わって進んだ…が、瑞穂交差点で再び通行止め。「真っ直ぐ行きたいのにィ…」
迂回の支持に従って渋々右折して南下。
山王交差点を上牟田3丁目方向に左折するつもりでいたら、50メートル進むのに2分以上かかるような筑紫通り。あんまりイライラさせられるので山王公園前ローソンの角から左折し、公園にどん突き右折してきよみ通りに出て左折したらまた大渋滞。
やっと平成大橋で御笠川を渡れる…と、その時、会社から電話。
「都市高使っていいから、榎田ランプから乗って…」
上牟田2丁目でやっと渋滞を抜け、都市高に乗り粕屋出口で国道201号線に降り、Yさんを拾って八木山手前の待ち合わせ場所へ。ウチからの警備員は総勢6名。車3台に分乗、うち1台は約1時間遅れだった。
着いて漸く仕事の内容を知らされた。
昨夜からの大雨で地盤が大変緩んでいるので、八木山峠のどこかで土砂崩れや崖崩れが起きた場合の復旧工事に備えて峠の下で待機。というものだった。
だが雨は小康状態。結局11時半には2名を残して4名は八木山の待機を解除。移動の指示。
その場に残った2名は、現場のトラックが送るということになり、4名3台で移動を開始。
移動先は博多区の国道3号線、堅粕2丁目交差点付近。とにかく国道3号線がとんでもないことになっている。とだけ知らされた。
だが、現場には3台も車を置く余裕はないので、3号線バイパス西月隈にあるN社の資材置き場に一度集合、2台を残し全員1台に乗って堅粕2丁目に向かう段取りに。
3台連なって移動を開始。
西月隈の資材置き場を唯一知っていたので僕が先導した。
201号線は順調に進み、流通センターから左折。新幹線下の抜け道を利用して松田の交差店から3号線博多バイパスに出ようとしたところ大渋滞なんて次元を超えた超大々渋滞。
信号が3回青になっても車1台分も前進できないなんて…。朝のあの大渋滞よりも更に凄まじい渋滞…というよりも、殆ど「停滞」。
平均すると、約50メートル進むのに3分以上かかって、ようやく榎田の交差点まであと約200メートル。
交差点を左折して大野城方面に向かいたいのだが、あと200メートルが約10分経っても全く進まない。じわじわじわじわ虫のペースのようなスピードで一本手前の角まで来たので、もう我慢できなくなって左折した。2台も後に続く。
そして榎田南から3号線パイパスに出ようとして驚いた。こっちも大渋滞で車が全く動いていない。
交差点手前の200メートルが全く動かなかった理由はコレだったか。
左折するのを止め、バイパスを突っ切って東比恵、上牟田、半道橋2丁目界隈の抜け道裏道をすり抜けて国際線北口近くまで出て、再度バイパスに入った。
でも、またまたナメクジの行進状態。
九州自動車道路が上下線とも通行止めで、太宰府インターが閉鎖になっているのがこんな遠くまで影響しているのだろうか?
ようやく西月隈の資材置き場に到着したのはもう4時近かった。
八木山下辺りから、混んでいなければ西月隈まで45分程度で着くところ、4時間半を要した。
大急ぎで堅粕2丁目に急行。反対車線は比較的空いていたのですぐに到着。
その現場の状況を見て一同絶句。
今朝の御笠川から氾濫した濁流が国道3号線に流れ込み、水が引いたのち、車道も歩道も川底に沈殿していた汚泥で泥沼状態になっていた。車のタイヤが泥に埋まり、思うように進めない。
なんとか車を駐車できるところを探してようやく駐めたが、車から出ると、足が泥に埋まってしまい、歩行困難で、まさに泥沼に嵌ってしまった状態だった。
N社さんが作業をしている場所に着いてようやく仕事を開始。
なんとか車道が普通に走れる状態になるまで作業は続けられた。
結局真っ暗になっても残業で、現場の作業が全て終了したのは夜の9時。
全員、疲れた体を元来た車に収め、また西月隈の資材置き場へ。
もう夜9時過ぎなのでさすがに渋滞も解消しているだろうと、榎田へ向かった。
…がっ!!
なんと夜9時過ぎてるのに大渋滞は続いていたっ!すぐに3号線から撤退し、県道112号線(旧国道3号線)へ出たら、こっちも3号線の影響で渋滞していた。
3号線よりは幾分流れていたので、なるべく西月隈の近くまで南下してから3号線へ戻ったが、それでもけっこう時間がかかり、資材置き場に着いたのはもう10時間際。
それから隊員Kくんを同乗させて会社に戻った。
彼は会社まで自転車で来ていたので一度会社に戻る必要があったのだ。
10時半頃、もう誰も居なくなって施錠されている会社のビルの下でKくんと別れた。
もう飯を炊くのも面倒なので、帰途、スーパーとコンビ二に寄りご飯とオカズを買って帰着は深夜11時半。
あ〜めっちゃ長い一日だったぁ〜。
今日は、『めちゃイケ』も『世界ふしぎ発見!』も見られなかったよぉ〜!! (T_T)号泣〜っ!!
チャ〜ラララララ、ラーラララァ〜
部屋を出ようとした瞬間、ケータイが鳴り始めた。
思わず音楽に併せて、
♪traveling 君を
tarveling 乗せて
ア〜スファルトをて〜らすよぉ〜♪
歌いそうになる衝動を堪えて電話に出ると、
「6時45分にYクンを、城南線のいつもの場所で拾って会社に来てくれ」
「あれ?N社の筑紫野事務所じゃないの?」
「直接八木山の現場に行って貰うかもしれないから、とりあえず会社に…」
待ち合わせ場所に30分には到着。少し待ったが、35分くらいには彼はやってきた。
時間にルーズな隊員が多い中、いつも早めに到着する彼はなかなか見込みのあるヤツだ。
会社に行くためには、まず住吉通りからパチンコ店の横を左折する。そしてX本目を右に曲がる…
と、えっ!?
道路一面が黄土色!?
いや、黄土色に汚れた濁流が流れていた。
両側のタイヤは1メートル近く濁水を跳ね上げ進み、会社のビル前に駐めた。
車は孤島状態で深さは約15〜20センチ。車内浸水の危険はない車高なのでひとまず安心。
靴を脱ぎ靴下をポケットにねじ込んで裸足で車を降りた。
会社に到着すると
「どうしたんだ?その足…」
K(警備責任者)が半笑いで聞くので
「えっ!?…だって下のあの状況じゃ、こうやって来るしかないっしょ?」
「下の状況?」
彼が出勤してきた約10分ほど前にはまだ水なんて一滴すら存在しなかったらしい。
下りてきて現状を目の当たりにすると「えーっ!!」おったまげーだった。
「4年前の博多駅前周辺の大洪水のときでもこんなとこまで来なかったぞ」
会社のTVを点けニュース番組で、初めて状況が理解できたようだ。
4年前の大雨同様に、御笠川が氾濫したらしい。
暫く会社で指示を待ち、結局、粕屋警察署前のバス停でもう一人、隊員Yクン…(あれ?Yクンが二人になっちゃうなぁ…じゃあ「Y田」…って、二人とも「Y田」だなぁ…。じゃあ、最初に乗せてきた彼を「Yクン」、粕屋署前バス停で拾うほうをベテランなので「Yさん」とする…というワケで、)Yさんを乗せて八木山のほうへ直接向かうことになった。
…が、会社を出て間もなく、博多駅方面への道が全面通行止めで迂回させられ、止むを得ずルート変更。だが迂回させられた車が集中してしまい大渋滞。
ノロノロノロノロ、なんとか進みながら百年橋通りに出た。
東に向かうべく再度亀の行列の一員に加わって進んだ…が、瑞穂交差点で再び通行止め。「真っ直ぐ行きたいのにィ…」
迂回の支持に従って渋々右折して南下。
山王交差点を上牟田3丁目方向に左折するつもりでいたら、50メートル進むのに2分以上かかるような筑紫通り。あんまりイライラさせられるので山王公園前ローソンの角から左折し、公園にどん突き右折してきよみ通りに出て左折したらまた大渋滞。
やっと平成大橋で御笠川を渡れる…と、その時、会社から電話。
「都市高使っていいから、榎田ランプから乗って…」
上牟田2丁目でやっと渋滞を抜け、都市高に乗り粕屋出口で国道201号線に降り、Yさんを拾って八木山手前の待ち合わせ場所へ。ウチからの警備員は総勢6名。車3台に分乗、うち1台は約1時間遅れだった。
着いて漸く仕事の内容を知らされた。
昨夜からの大雨で地盤が大変緩んでいるので、八木山峠のどこかで土砂崩れや崖崩れが起きた場合の復旧工事に備えて峠の下で待機。というものだった。
だが雨は小康状態。結局11時半には2名を残して4名は八木山の待機を解除。移動の指示。
その場に残った2名は、現場のトラックが送るということになり、4名3台で移動を開始。
移動先は博多区の国道3号線、堅粕2丁目交差点付近。とにかく国道3号線がとんでもないことになっている。とだけ知らされた。
だが、現場には3台も車を置く余裕はないので、3号線バイパス西月隈にあるN社の資材置き場に一度集合、2台を残し全員1台に乗って堅粕2丁目に向かう段取りに。
3台連なって移動を開始。
西月隈の資材置き場を唯一知っていたので僕が先導した。
201号線は順調に進み、流通センターから左折。新幹線下の抜け道を利用して松田の交差店から3号線博多バイパスに出ようとしたところ大渋滞なんて次元を超えた超大々渋滞。
信号が3回青になっても車1台分も前進できないなんて…。朝のあの大渋滞よりも更に凄まじい渋滞…というよりも、殆ど「停滞」。
平均すると、約50メートル進むのに3分以上かかって、ようやく榎田の交差点まであと約200メートル。
交差点を左折して大野城方面に向かいたいのだが、あと200メートルが約10分経っても全く進まない。じわじわじわじわ虫のペースのようなスピードで一本手前の角まで来たので、もう我慢できなくなって左折した。2台も後に続く。
そして榎田南から3号線パイパスに出ようとして驚いた。こっちも大渋滞で車が全く動いていない。
交差点手前の200メートルが全く動かなかった理由はコレだったか。
左折するのを止め、バイパスを突っ切って東比恵、上牟田、半道橋2丁目界隈の抜け道裏道をすり抜けて国際線北口近くまで出て、再度バイパスに入った。
でも、またまたナメクジの行進状態。
九州自動車道路が上下線とも通行止めで、太宰府インターが閉鎖になっているのがこんな遠くまで影響しているのだろうか?
ようやく西月隈の資材置き場に到着したのはもう4時近かった。
八木山下辺りから、混んでいなければ西月隈まで45分程度で着くところ、4時間半を要した。
大急ぎで堅粕2丁目に急行。反対車線は比較的空いていたのですぐに到着。
その現場の状況を見て一同絶句。
今朝の御笠川から氾濫した濁流が国道3号線に流れ込み、水が引いたのち、車道も歩道も川底に沈殿していた汚泥で泥沼状態になっていた。車のタイヤが泥に埋まり、思うように進めない。
なんとか車を駐車できるところを探してようやく駐めたが、車から出ると、足が泥に埋まってしまい、歩行困難で、まさに泥沼に嵌ってしまった状態だった。
N社さんが作業をしている場所に着いてようやく仕事を開始。
なんとか車道が普通に走れる状態になるまで作業は続けられた。
結局真っ暗になっても残業で、現場の作業が全て終了したのは夜の9時。
全員、疲れた体を元来た車に収め、また西月隈の資材置き場へ。
もう夜9時過ぎなのでさすがに渋滞も解消しているだろうと、榎田へ向かった。
…がっ!!
なんと夜9時過ぎてるのに大渋滞は続いていたっ!すぐに3号線から撤退し、県道112号線(旧国道3号線)へ出たら、こっちも3号線の影響で渋滞していた。
3号線よりは幾分流れていたので、なるべく西月隈の近くまで南下してから3号線へ戻ったが、それでもけっこう時間がかかり、資材置き場に着いたのはもう10時間際。
それから隊員Kくんを同乗させて会社に戻った。
彼は会社まで自転車で来ていたので一度会社に戻る必要があったのだ。
10時半頃、もう誰も居なくなって施錠されている会社のビルの下でKくんと別れた。
もう飯を炊くのも面倒なので、帰途、スーパーとコンビ二に寄りご飯とオカズを買って帰着は深夜11時半。
あ〜めっちゃ長い一日だったぁ〜。
今日は、『めちゃイケ』も『世界ふしぎ発見!』も見られなかったよぉ〜!! (T_T)号泣〜っ!!
最近ちょっと歌付いてます。
2003年7月16日 「なんもない」
与えられすぎ、気分すかんぴん
人に聞くのも、ネットも大体同じ
2ヶ月後には 頭のかなた
お嬢さんがた…ただのブーム マイブーム
漫画でなくちゃ もはや君らは
僕をイメージ化できないと 知らない
楽をしたら一兎も得られず
と、まずはオチルことを知りなさいな
セル画求めて、マニア熱上げ
レジ打ちしてた店員…やおらカラオケ
渋谷地下一 まんばかだらけ
よっぽど好きに 生きてるって 立派
大学にゆき、行かなきゃ留学
でなけりゃ“ぷ〜”になりなさいっっ以外に
外れたくない 羨ましがり
メインストリームばっか追ってただ中
なんかないの。
なんか、ない
なんにも。なんかないのか。って
どっちらけ頭ん中 自分だらけで
なんかないの。
なんか、ない
なんにも。なんかないのか。って
どうすればいいのかな?わかんないかな…って
だからプライベート 真似た不まじめ
2ちゃんねるやめちゃえ!っていわれて余計
北へ東へ ばらばらてんで
毒きのこ食べないで 待って まって。
何をしたくて 安心したくて天秤にかけ
…わからないフリ。ね?
自信すりかえフィルター擦り切れ
ぐるりまわってこれが「ありのまま」
一青窈さんの『金魚すくい』のカップリング曲なんですが、若者に対する風刺がかなり効いていて、なかなか面白い曲です。
先日シングルCDを借りたとき、30分テープの両面ともに、
1.金魚すくい
2.なんもない
3.今日わずらい
の3曲をダビングして、ここ2日くらい車中運転しながら繰り返し繰り返しずっと聴いている。
何度も繰り返し聴くごとに、この曲のおもしろさが解ってきた。
是非多くの人に聞いて貰いたい曲だ。
タイトル曲の「金魚すくい」もなかなか良い。
以前、一青窈さんの楽曲について書いたときに、
言葉の響きを大切にしているのが良いと記述した。
言葉の音の響きが擬音的なのだ。
この曲で言えば、
「さらさらいや」である。
これの繰り返しが不思議と、すんなり耳に馴染んでくる。最近はヤミツキ状態になってきている。
この「金魚すくい」の歌詞も、随分覚えてきた。あと2日ほどで、パーフェクトに歌えるようになりそうだ。
う〜ん、やっぱり一青窈さんの曲は良いっ!
特にお気に入りの曲は、やっぱりインパクトが強かった「もらい泣き」と、朝の風景が浮かんでくるような「sunny side up」。歌詞の内容に“大きな愛”を感じる「アリガ十々」など…。
東洋的な音楽に興味があるヒトなら、彼女のアルバム「月 天 心」は、ぜっったいオススメっ!
ハマること間違いなし。
与えられすぎ、気分すかんぴん
人に聞くのも、ネットも大体同じ
2ヶ月後には 頭のかなた
お嬢さんがた…ただのブーム マイブーム
漫画でなくちゃ もはや君らは
僕をイメージ化できないと 知らない
楽をしたら一兎も得られず
と、まずはオチルことを知りなさいな
セル画求めて、マニア熱上げ
レジ打ちしてた店員…やおらカラオケ
渋谷地下一 まんばかだらけ
よっぽど好きに 生きてるって 立派
大学にゆき、行かなきゃ留学
でなけりゃ“ぷ〜”になりなさいっっ以外に
外れたくない 羨ましがり
メインストリームばっか追ってただ中
なんかないの。
なんか、ない
なんにも。なんかないのか。って
どっちらけ頭ん中 自分だらけで
なんかないの。
なんか、ない
なんにも。なんかないのか。って
どうすればいいのかな?わかんないかな…って
だからプライベート 真似た不まじめ
2ちゃんねるやめちゃえ!っていわれて余計
北へ東へ ばらばらてんで
毒きのこ食べないで 待って まって。
何をしたくて 安心したくて天秤にかけ
…わからないフリ。ね?
自信すりかえフィルター擦り切れ
ぐるりまわってこれが「ありのまま」
一青窈さんの『金魚すくい』のカップリング曲なんですが、若者に対する風刺がかなり効いていて、なかなか面白い曲です。
先日シングルCDを借りたとき、30分テープの両面ともに、
1.金魚すくい
2.なんもない
3.今日わずらい
の3曲をダビングして、ここ2日くらい車中運転しながら繰り返し繰り返しずっと聴いている。
何度も繰り返し聴くごとに、この曲のおもしろさが解ってきた。
是非多くの人に聞いて貰いたい曲だ。
タイトル曲の「金魚すくい」もなかなか良い。
以前、一青窈さんの楽曲について書いたときに、
言葉の響きを大切にしているのが良いと記述した。
言葉の音の響きが擬音的なのだ。
この曲で言えば、
「さらさらいや」である。
これの繰り返しが不思議と、すんなり耳に馴染んでくる。最近はヤミツキ状態になってきている。
この「金魚すくい」の歌詞も、随分覚えてきた。あと2日ほどで、パーフェクトに歌えるようになりそうだ。
う〜ん、やっぱり一青窈さんの曲は良いっ!
特にお気に入りの曲は、やっぱりインパクトが強かった「もらい泣き」と、朝の風景が浮かんでくるような「sunny side up」。歌詞の内容に“大きな愛”を感じる「アリガ十々」など…。
東洋的な音楽に興味があるヒトなら、彼女のアルバム「月 天 心」は、ぜっったいオススメっ!
ハマること間違いなし。
二日続きで南こうせつオイちゃんの曲ネタから…
2003年7月15日 ♪あの頃二人のアパートは 裸電球まぶしくて
貨物列車が通ると揺れた 二人に似合いの部屋でした♪
…でお馴染みの南こうせつさんの名曲『赤ちょうちん』の中で、
♪雨が降ると仕事も行かず キャベツばかりを齧ってた〜
という一節がありますが、まず、昨日の日記を読んでいただいて…
その結果、結局今日は仕事は入らず…
雨で仕事がなく、今日の夕食はもう作るのが面倒だったので、スーパーの惣菜コーナーで出来合いの「チキンカツ」を買ってきてオカズにした。
チキンカツを食べ終わり、下に敷き詰めてあるキャベツの千切りを食べていると、思わず『赤ちょうちん』のその一節が浮かんできた。
何だか、侘びしいなぁ…
前述の通り、仕事が無かったので、
また、
♪しょうがない 雨の日はしょうがない〜
(なんか歌ばっかりだなぁ…。ちなみにこの曲は『雨が空から降れば』by小室等)
…とばかりに遅くまで眠ってました。
昼ごろ目覚めて、せっかく時間があるから先日借りてきたビデオ『Red Shdow 赤影』を見た。
しかし…何なんだ?この映画はっ!
この映画に『赤影』の名を使わないでくれっ!
と言いたい。
少年の頃、僕が夢中になった忍者ヒーロー『赤影』とは全く別物!
横山光輝先生原作でテレビ化&映画化されたかつての『仮面の忍者・赤影』のイメージを期待してこの映画を見ると見事に裏切られることになる。
キャスティングも、はっきり言って勘弁してほしい。
主役の赤影・安藤政信は主役としては明らかに役不足。青影・村上淳も、とても忍びには見えない。
くのいち・アスカのカンゾー先生・麻生久美子は思った以上に“くのいち”らしくて意外に良かったかも…。
彼女をストーリー中盤で死なせて、その死による憂いを赤影に背負わせる必要があったのだろうか?
最後までアスカを生き長らえさせて、赤影には他のものを背負わせる方法もあったのでは…?と思ってしまった。
冒頭に登場した布袋寅泰も、かなりインパクトのある登場で凄い存在感も漂わせておいて、結局あれだけかいっ!
古代の一族の長老役も、きたろうさんじゃコントにしか見えないよぉ…。
他流の忍者として吹越満さんが出ていたが、あの忍者の一群はストーリー上、何の必要性も感じられなかった。
存在感はあるものの、竹中さんは相変らずの若干オチャラケを取り混ぜーの、藤井フミヤやら根津甚八やら陣内さん(陣内さん、あの悪役はかなりイタダケませんぜ)など、意味無く豪華なのがかなり無駄に感じられた。
キャスティングで僕がなかなか成功していると思ったのは津川雅彦さんと日本一の斬られ役・福本清三さん、それに松重豊さんだけ…。
新体操のアリーナ・カバエワなんて、ふざけているとしか思えない。
姫役の奥菜恵も、舌足らずな口調で凛々しさの欠片も感じられない。あれなら星野真里か矢田亜希子、新山千春、仲間由紀恵、黒谷友香辺りのほうがずっと良かったんじゃないだろうか?
あ、川幡由佳さんってーのも結構アリかもしんない。
ま、総合評価20点ってところかな〜?
邦画を軽視している映画ファンが多い中、僕はかなり邦画も好きで頻繁に見ているほうだが、東映創立50周年記念作品と銘打ってこんな映画を作っているようでは、映画ファンが洋画へと流れていくのも仕方ないとさえ思ってしまう。
最後のスタッフロールを見ると、
原作:横山光輝
とあったが、はっきり言ってこの一行は削除して欲しい。全くの別物だし、横山大先生に対する冒涜だ。
とにかく、この映画はダビング保存の必要なし…と判断した。
ちょっと頭にキてしまった。
昔の、坂口祐三郎さんの『仮面の忍者・赤影』が見たいよぉ〜。
貨物列車が通ると揺れた 二人に似合いの部屋でした♪
…でお馴染みの南こうせつさんの名曲『赤ちょうちん』の中で、
♪雨が降ると仕事も行かず キャベツばかりを齧ってた〜
という一節がありますが、まず、昨日の日記を読んでいただいて…
その結果、結局今日は仕事は入らず…
雨で仕事がなく、今日の夕食はもう作るのが面倒だったので、スーパーの惣菜コーナーで出来合いの「チキンカツ」を買ってきてオカズにした。
チキンカツを食べ終わり、下に敷き詰めてあるキャベツの千切りを食べていると、思わず『赤ちょうちん』のその一節が浮かんできた。
何だか、侘びしいなぁ…
前述の通り、仕事が無かったので、
また、
♪しょうがない 雨の日はしょうがない〜
(なんか歌ばっかりだなぁ…。ちなみにこの曲は『雨が空から降れば』by小室等)
…とばかりに遅くまで眠ってました。
昼ごろ目覚めて、せっかく時間があるから先日借りてきたビデオ『Red Shdow 赤影』を見た。
しかし…何なんだ?この映画はっ!
この映画に『赤影』の名を使わないでくれっ!
と言いたい。
少年の頃、僕が夢中になった忍者ヒーロー『赤影』とは全く別物!
横山光輝先生原作でテレビ化&映画化されたかつての『仮面の忍者・赤影』のイメージを期待してこの映画を見ると見事に裏切られることになる。
キャスティングも、はっきり言って勘弁してほしい。
主役の赤影・安藤政信は主役としては明らかに役不足。青影・村上淳も、とても忍びには見えない。
くのいち・アスカのカンゾー先生・麻生久美子は思った以上に“くのいち”らしくて意外に良かったかも…。
彼女をストーリー中盤で死なせて、その死による憂いを赤影に背負わせる必要があったのだろうか?
最後までアスカを生き長らえさせて、赤影には他のものを背負わせる方法もあったのでは…?と思ってしまった。
冒頭に登場した布袋寅泰も、かなりインパクトのある登場で凄い存在感も漂わせておいて、結局あれだけかいっ!
古代の一族の長老役も、きたろうさんじゃコントにしか見えないよぉ…。
他流の忍者として吹越満さんが出ていたが、あの忍者の一群はストーリー上、何の必要性も感じられなかった。
存在感はあるものの、竹中さんは相変らずの若干オチャラケを取り混ぜーの、藤井フミヤやら根津甚八やら陣内さん(陣内さん、あの悪役はかなりイタダケませんぜ)など、意味無く豪華なのがかなり無駄に感じられた。
キャスティングで僕がなかなか成功していると思ったのは津川雅彦さんと日本一の斬られ役・福本清三さん、それに松重豊さんだけ…。
新体操のアリーナ・カバエワなんて、ふざけているとしか思えない。
姫役の奥菜恵も、舌足らずな口調で凛々しさの欠片も感じられない。あれなら星野真里か矢田亜希子、新山千春、仲間由紀恵、黒谷友香辺りのほうがずっと良かったんじゃないだろうか?
あ、川幡由佳さんってーのも結構アリかもしんない。
ま、総合評価20点ってところかな〜?
邦画を軽視している映画ファンが多い中、僕はかなり邦画も好きで頻繁に見ているほうだが、東映創立50周年記念作品と銘打ってこんな映画を作っているようでは、映画ファンが洋画へと流れていくのも仕方ないとさえ思ってしまう。
最後のスタッフロールを見ると、
原作:横山光輝
とあったが、はっきり言ってこの一行は削除して欲しい。全くの別物だし、横山大先生に対する冒涜だ。
とにかく、この映画はダビング保存の必要なし…と判断した。
ちょっと頭にキてしまった。
昔の、坂口祐三郎さんの『仮面の忍者・赤影』が見たいよぉ〜。
『今日は雨』 by 南こうせつ
2003年7月13日 今日は雨 窓ガラスを流れる雨が
心の中まで 伝って落ちる
一人のベッドで 眠り目覚めた
寒い胸の中 伝って落ちる 今日は雨
こんな日は眠ろう 眠りたいだけ
こんな日は眠ろう 眠りたいだけ
こうせつオイちゃん(南こうせつさん)の『今日は雨』という曲。
オイちゃんの曲はどれも、いつも優しく心を癒す温かみがあって好きだ。
朝からずーっと雨が降り続いた今日のような日は、時々この曲を思い出す。…というよりふと口を突いて出てくる。
僕は幼い頃から雨の日は憂鬱で、雨粒が胸の中にまで降り注いで、心を濡らされたような気持ちになる。
この歌詞は、その心情をとても如実に表現していて、これこそまさに、雨の日の僕の心中を歌った曲だと思った。
それに日曜日で仕事もなく、こんな日はいつまでも思う存分眠っていたい気分になる。
いっそ、雨がすっかり上がってしまうまで…
ベッドの上に重い身体を横たえて、カーテンを15センチくらい開いた隙間から濡れた家並みをぼんやり眺めて
♪こんな日は眠ろう 眠りたいだけ
こんな日は眠ろう 眠りたいだけ♪
口ずさみながらそんなことを考えていた。
いつまでも眠っていたい身体と気持ちを奮い起こして、身支度をして家を出た。
会社に行って、出ている分のギャラを貰い、一週間分の申請を出さなければならなかった。
日曜日、会社にはいつもNが常駐している。
Nだけかと思ったら、女性隊員のIが来ていた。
Iは会社のPCでクラシック・ソリティアをして遊んでいた。
彼女は博多区の南端に近い通称「雑餉隈」と言われる界隈に住んでいたと記憶している。
会社最寄りの博多駅からは鹿児島本線で3駅南になる。
ちなみに「雑餉隈」は僕の生まれ故郷である。
わざわざ仕事のない雨の日に結構距離のある会社まで来て、やっていることと言えばPCゲームなんて、
「こらこら、日曜日にわざわざ会社に出てきて、なに遊んでんだよ!」
喉まで出かかった言葉を、あえて飲み込んだ。
「明日の仕事は…?」
「明日も天気が悪いようで、今のところまだ…」
「それじゃ困りますよ。金曜は中止になっちゃって…昨日は僕の都合だったから仕方ないけど、金、土と仕事してないんですよ。月曜日はちゃんと働かせてもらわないと、生活できませんよぉ」
「緊急の仕事が入ったら確実にIさん(僕のこと)にお願いしますから…」
「緊急の仕事なんて入るの?」
「さぁ、それは何とも…」
「これだもんなぁ…」
とりあえず、一通り用事を済ませて、
「じゃあ、仕事、お願いしますよ」
と会社を出た。
いくらか弱まってはいるが、相変らず降り止まない雨の中、会社の前に駐めていた車に戻って発進し、再度ワイパーに起動願った。
途中レンタルしていたシングルCDを返却し、スーパーで夕食の買い物をして帰宅した。
夜は、TVもあまり面白い番組をやっていなかったので借りていたビデオ『ニューヨークの恋人』を見た。
内容は、少しコミカルで、比較的ライトなラブ・ストーリーだった。
なんとなくメグ・ライアンって、恋に揺れながらも仕事バリバリのワーキング・ウーマンってカンジのキャラが多いような気がするけど、やっぱりこの映画もそうだった。
19世紀からタイムワープしてきた公爵と現代女性とのラブロマンスというストーリー自体は結構面白かった。
総合評価は75点ってところかな?
一応ダビングして残しておくだけの、僕の中での水準はクリアしているかな?…と思われるのでダビングしておこう。
心の中まで 伝って落ちる
一人のベッドで 眠り目覚めた
寒い胸の中 伝って落ちる 今日は雨
こんな日は眠ろう 眠りたいだけ
こんな日は眠ろう 眠りたいだけ
こうせつオイちゃん(南こうせつさん)の『今日は雨』という曲。
オイちゃんの曲はどれも、いつも優しく心を癒す温かみがあって好きだ。
朝からずーっと雨が降り続いた今日のような日は、時々この曲を思い出す。…というよりふと口を突いて出てくる。
僕は幼い頃から雨の日は憂鬱で、雨粒が胸の中にまで降り注いで、心を濡らされたような気持ちになる。
この歌詞は、その心情をとても如実に表現していて、これこそまさに、雨の日の僕の心中を歌った曲だと思った。
それに日曜日で仕事もなく、こんな日はいつまでも思う存分眠っていたい気分になる。
いっそ、雨がすっかり上がってしまうまで…
ベッドの上に重い身体を横たえて、カーテンを15センチくらい開いた隙間から濡れた家並みをぼんやり眺めて
♪こんな日は眠ろう 眠りたいだけ
こんな日は眠ろう 眠りたいだけ♪
口ずさみながらそんなことを考えていた。
いつまでも眠っていたい身体と気持ちを奮い起こして、身支度をして家を出た。
会社に行って、出ている分のギャラを貰い、一週間分の申請を出さなければならなかった。
日曜日、会社にはいつもNが常駐している。
Nだけかと思ったら、女性隊員のIが来ていた。
Iは会社のPCでクラシック・ソリティアをして遊んでいた。
彼女は博多区の南端に近い通称「雑餉隈」と言われる界隈に住んでいたと記憶している。
会社最寄りの博多駅からは鹿児島本線で3駅南になる。
ちなみに「雑餉隈」は僕の生まれ故郷である。
わざわざ仕事のない雨の日に結構距離のある会社まで来て、やっていることと言えばPCゲームなんて、
「こらこら、日曜日にわざわざ会社に出てきて、なに遊んでんだよ!」
喉まで出かかった言葉を、あえて飲み込んだ。
「明日の仕事は…?」
「明日も天気が悪いようで、今のところまだ…」
「それじゃ困りますよ。金曜は中止になっちゃって…昨日は僕の都合だったから仕方ないけど、金、土と仕事してないんですよ。月曜日はちゃんと働かせてもらわないと、生活できませんよぉ」
「緊急の仕事が入ったら確実にIさん(僕のこと)にお願いしますから…」
「緊急の仕事なんて入るの?」
「さぁ、それは何とも…」
「これだもんなぁ…」
とりあえず、一通り用事を済ませて、
「じゃあ、仕事、お願いしますよ」
と会社を出た。
いくらか弱まってはいるが、相変らず降り止まない雨の中、会社の前に駐めていた車に戻って発進し、再度ワイパーに起動願った。
途中レンタルしていたシングルCDを返却し、スーパーで夕食の買い物をして帰宅した。
夜は、TVもあまり面白い番組をやっていなかったので借りていたビデオ『ニューヨークの恋人』を見た。
内容は、少しコミカルで、比較的ライトなラブ・ストーリーだった。
なんとなくメグ・ライアンって、恋に揺れながらも仕事バリバリのワーキング・ウーマンってカンジのキャラが多いような気がするけど、やっぱりこの映画もそうだった。
19世紀からタイムワープしてきた公爵と現代女性とのラブロマンスというストーリー自体は結構面白かった。
総合評価は75点ってところかな?
一応ダビングして残しておくだけの、僕の中での水準はクリアしているかな?…と思われるのでダビングしておこう。
「川幡由佳さんinブルガリア」
2003年7月12日 昨日(11日)の日記は、深夜12時過ぎて書いてもいいか…なんて考えていたら、真夜中だというのに急な用事で出かけてしまい、書けなかったので先に昨日分を…
朝、車で仕事に向かおうとして、出発して約3kmばかり走ったところで、会社に出発の報告の電話を入れたところ、
「すいません。今日中止だそうです」
「え゛〜っ!もう出ちゃったよぉ〜っ。なんで中止ィ〜」
「たぶん天気のせいじゃないかと…」
「天気って、雨なんて降ってないしィ〜」
「かなり確率が高いみたいで…」
「んで?他の現場は?」
「現在のところ、まだ…急な仕事でも入ったら連絡しますから」
「んじゃ、わかりました。とりあえず帰ります」
…んで、Uターンして帰ろうとしたら、すぐ近くにレンタルビデオ店『P』が…
そう言えば最近暫く、この店来てなかったなぁ…
久しぶりに入ってシングルCD11枚とビデオ『Red Shadow 赤影』と『ニューヨークの恋人』を借りた。
帰宅して早速CDのほうをカセットテープにダビング。
ちなみに今回の曲目は……
A面 1.その時生まれたもの(BEGIN)
2.千の夜と千の昼(元ちとせ)
3.AKATSUKI(稲葉浩志)
4.瞳閉じて(ZARD)
5.心に夢を君には愛を(KinKi Kids)
6.接吻(中島美嘉)
B面 7.Let’s go to the sea 〜OASIS(TUBE)
8.元気を出して(島谷ひとみ)
9.君のいるところと君のうた(小久保淳平)
10.何もない僕等(竹内めぐみ)
11.グッドモーニング(槙原敬之)
12.金魚すくい
「金魚すくい」だけは昨日他店でレンタル済み。
ビデオは1週間レンタルなので、まだ全く見ていない。近々時間を作ってゆっくり観よう。
仕事が中止になったせいで不意の休みになってしまったが、昼前から雨が降り出し、午後〜夕方の雨の降り方はまさに豪雨。中止になって良かったかもしんない。
家でTVなんぞ見ながら寛いでいたら、夜中になって突然の電話。
父方の親戚に不幸があったらしく、明日の葬式に、僕が行くことになった。
…と言うのも、ウチの父親というのが、短気な偏屈者で、生来、敵を作る天才と言うか、身内からもみ〜んな見離されてしまって親戚中から孤立してしまっているのです。お陰で子供の僕までその影響受けて付き合いが殆どなくなってしまった。
父や母は父方の田舎とは色々あってギクシャクしてしまっているから、葬式でも行くのには気が引けるらしい。
亡くなった本人の父親はウチの父の兄に当る…つまり亡くなったのは僕の従兄弟なのだ。父は実兄には一方ならぬ感謝の気持ちがあったので、従兄弟の葬式に音沙汰なしという不義理は出来ない…ということで、とりあえず、直接には人間関係的なしがらみがない僕が行くことになってしまった。
…と言うより実のところ、殆ど香典を持っていくだけのつもりだったのだが、一通り付き合わされてしまった。
父の田舎は県南部にあり、片道2時間近く要する。
朝7時半頃に出発し、高速を使ったので9時前には到着。
一通り葬式に出て焼香し…勿論香典も忘れずに渡してきました。
夕方5時過ぎにお暇して、途中夕食の買い物をしたので帰宅したのは夜7時57分からの『めちゃイケ』ギリギリだった。
おお〜っ!アブナイ、アブナイ…
今夜もめちゃイケはかなり笑かして貰った。
そんで、9時からは待ちに待ってましたっ!
今夜の『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターは、待ちに待ってました。川幡由佳さんだぁっ!
いつもキレイな由佳さんだけど、今夜はマジでいつにも増して美しさに磨きがかかって見えた。
美しいだけじゃなく本当に可愛い。27歳という年齢も「絶対ウソでしょ?」てなカンジ。
今夜の番組は「ブルガリア・バラの谷の夏」と題してブルガリアの素晴らしさを「これでもかっ!」と言うほど見せ付けられた。
あらゆる面で日本より遥かに勝っている。
表面的な政治・経済的な部分を数字的に比較すれば確かに日本のほうが上だろう。
だが国の実質的な豊かさや人間の民族的成熟度からすると日本はまだまだ子供であることを痛感させられた。
バラの国であるということも今回の放送で初めて知った。
1gのローズオイルを精製するために、約3千個の花が収穫されるなんて、一瓶約30gとして、9万個の花が必要…なんてとんでもなく膨大な数だと思った。
それを一つ一つ手で摘んでいるバラの谷の人々の労力には頭が下がる思いがした。
それだけ一生懸命に、生活の糧としてバラを大切にしているからこそ、年一度のバラ祭があんなに盛大に開催されるのだろう。
ダンスをしていた女性たちの民族衣装のカラフルで華麗な色使いがそれを如実に物語っているような気がした。
由佳さんが「横に並ぶのが、ちょっとイヤだなぁ」と言っていた女性の人形のような民族衣装は本当に上から下まで細かい装飾が沢山鏤められていてキレイでした。
顔は由佳さんのほうが美しかったですけど…。
紀元前300年頃のトラキアの王と王妃の古墳内に施された壁画の美しさは目を見張るものがありました。
蝋燭か松明くらいしか無かった時代に、あんな暗い中でこれほど色彩的に鮮やかな絵をよく描いたものだと感心してしまった。
首を横に振って肯定を表す身振りは、見ていて大変違和感を感じてしまった。
ブルガリア語ってよく分からないけど、由佳さんのブルガリア語の発音、結構サマになっていたような気がしたけど、僕の贔屓目?
スレバルナ湖でハイイロペリカンの群れを見に行くときのボート、ボルネオと2回連続のボート体験で、ちょっと前回のボルネオを思い出してしまった。
イヴァノヴォの断崖に築かれた岩窟聖堂のフレスコ画の緻密で繊細な美しさは、長い年月を経ても色褪せない信仰心の強さが現れているように感じた。
美大出身で、自らもよく絵を描く由佳さんのことだから、画面で感じられる以上にその現物の臨場感もあって、感動の余り、全身が総毛立つような感覚を覚えたのではないかと思ったが、実際のところはどうだったのだろう?
モルサルスキーとヨーグルトが、ブルガリアの長寿の秘密だったと知ってなるほどなぁ…と納得させられた。普段肉や魚など動物性たんぱく質ばかり摂っている自分自身、ちょっと反省。
VTRでヨーグルトの作り方を紹介していたけど、家でも牛乳を使って同じように作れるのかなぁ?ちょっとやってみたい気も…
シプカに移住した高田夫妻の生活している家の家賃が7800円と言うのにはかなり驚き!日本の10分の1の物価なんて!!
思わず僕も移住してみたくなっちゃいました。(^O^)
リラの僧院を見てもやっぱり見事なテンペラ画が残っていたけど、いつの時代どんな土地でも、宗教というのは人間の大きな支えとなるものだと改めて感じた。
ロザリオ=rosaryはroseが語源だったなんて、知らなかった。辞書で調べてみると、rosaryには、バラ園(rose garden)の意味もあるそうで…なるほどぉ。そうだったのねん。
それにしても毎回、エンディングまで由佳さんの魅力いっぱいで…。番組Dの方、本当にありがとうございます。と心より言いたい。
今夜も由佳さんの笑顔と活躍が見られて本当に良かった…。
朝、車で仕事に向かおうとして、出発して約3kmばかり走ったところで、会社に出発の報告の電話を入れたところ、
「すいません。今日中止だそうです」
「え゛〜っ!もう出ちゃったよぉ〜っ。なんで中止ィ〜」
「たぶん天気のせいじゃないかと…」
「天気って、雨なんて降ってないしィ〜」
「かなり確率が高いみたいで…」
「んで?他の現場は?」
「現在のところ、まだ…急な仕事でも入ったら連絡しますから」
「んじゃ、わかりました。とりあえず帰ります」
…んで、Uターンして帰ろうとしたら、すぐ近くにレンタルビデオ店『P』が…
そう言えば最近暫く、この店来てなかったなぁ…
久しぶりに入ってシングルCD11枚とビデオ『Red Shadow 赤影』と『ニューヨークの恋人』を借りた。
帰宅して早速CDのほうをカセットテープにダビング。
ちなみに今回の曲目は……
A面 1.その時生まれたもの(BEGIN)
2.千の夜と千の昼(元ちとせ)
3.AKATSUKI(稲葉浩志)
4.瞳閉じて(ZARD)
5.心に夢を君には愛を(KinKi Kids)
6.接吻(中島美嘉)
B面 7.Let’s go to the sea 〜OASIS(TUBE)
8.元気を出して(島谷ひとみ)
9.君のいるところと君のうた(小久保淳平)
10.何もない僕等(竹内めぐみ)
11.グッドモーニング(槙原敬之)
12.金魚すくい
「金魚すくい」だけは昨日他店でレンタル済み。
ビデオは1週間レンタルなので、まだ全く見ていない。近々時間を作ってゆっくり観よう。
仕事が中止になったせいで不意の休みになってしまったが、昼前から雨が降り出し、午後〜夕方の雨の降り方はまさに豪雨。中止になって良かったかもしんない。
家でTVなんぞ見ながら寛いでいたら、夜中になって突然の電話。
父方の親戚に不幸があったらしく、明日の葬式に、僕が行くことになった。
…と言うのも、ウチの父親というのが、短気な偏屈者で、生来、敵を作る天才と言うか、身内からもみ〜んな見離されてしまって親戚中から孤立してしまっているのです。お陰で子供の僕までその影響受けて付き合いが殆どなくなってしまった。
父や母は父方の田舎とは色々あってギクシャクしてしまっているから、葬式でも行くのには気が引けるらしい。
亡くなった本人の父親はウチの父の兄に当る…つまり亡くなったのは僕の従兄弟なのだ。父は実兄には一方ならぬ感謝の気持ちがあったので、従兄弟の葬式に音沙汰なしという不義理は出来ない…ということで、とりあえず、直接には人間関係的なしがらみがない僕が行くことになってしまった。
…と言うより実のところ、殆ど香典を持っていくだけのつもりだったのだが、一通り付き合わされてしまった。
父の田舎は県南部にあり、片道2時間近く要する。
朝7時半頃に出発し、高速を使ったので9時前には到着。
一通り葬式に出て焼香し…勿論香典も忘れずに渡してきました。
夕方5時過ぎにお暇して、途中夕食の買い物をしたので帰宅したのは夜7時57分からの『めちゃイケ』ギリギリだった。
おお〜っ!アブナイ、アブナイ…
今夜もめちゃイケはかなり笑かして貰った。
そんで、9時からは待ちに待ってましたっ!
今夜の『世界ふしぎ発見!』のミステリーハンターは、待ちに待ってました。川幡由佳さんだぁっ!
いつもキレイな由佳さんだけど、今夜はマジでいつにも増して美しさに磨きがかかって見えた。
美しいだけじゃなく本当に可愛い。27歳という年齢も「絶対ウソでしょ?」てなカンジ。
今夜の番組は「ブルガリア・バラの谷の夏」と題してブルガリアの素晴らしさを「これでもかっ!」と言うほど見せ付けられた。
あらゆる面で日本より遥かに勝っている。
表面的な政治・経済的な部分を数字的に比較すれば確かに日本のほうが上だろう。
だが国の実質的な豊かさや人間の民族的成熟度からすると日本はまだまだ子供であることを痛感させられた。
バラの国であるということも今回の放送で初めて知った。
1gのローズオイルを精製するために、約3千個の花が収穫されるなんて、一瓶約30gとして、9万個の花が必要…なんてとんでもなく膨大な数だと思った。
それを一つ一つ手で摘んでいるバラの谷の人々の労力には頭が下がる思いがした。
それだけ一生懸命に、生活の糧としてバラを大切にしているからこそ、年一度のバラ祭があんなに盛大に開催されるのだろう。
ダンスをしていた女性たちの民族衣装のカラフルで華麗な色使いがそれを如実に物語っているような気がした。
由佳さんが「横に並ぶのが、ちょっとイヤだなぁ」と言っていた女性の人形のような民族衣装は本当に上から下まで細かい装飾が沢山鏤められていてキレイでした。
顔は由佳さんのほうが美しかったですけど…。
紀元前300年頃のトラキアの王と王妃の古墳内に施された壁画の美しさは目を見張るものがありました。
蝋燭か松明くらいしか無かった時代に、あんな暗い中でこれほど色彩的に鮮やかな絵をよく描いたものだと感心してしまった。
首を横に振って肯定を表す身振りは、見ていて大変違和感を感じてしまった。
ブルガリア語ってよく分からないけど、由佳さんのブルガリア語の発音、結構サマになっていたような気がしたけど、僕の贔屓目?
スレバルナ湖でハイイロペリカンの群れを見に行くときのボート、ボルネオと2回連続のボート体験で、ちょっと前回のボルネオを思い出してしまった。
イヴァノヴォの断崖に築かれた岩窟聖堂のフレスコ画の緻密で繊細な美しさは、長い年月を経ても色褪せない信仰心の強さが現れているように感じた。
美大出身で、自らもよく絵を描く由佳さんのことだから、画面で感じられる以上にその現物の臨場感もあって、感動の余り、全身が総毛立つような感覚を覚えたのではないかと思ったが、実際のところはどうだったのだろう?
モルサルスキーとヨーグルトが、ブルガリアの長寿の秘密だったと知ってなるほどなぁ…と納得させられた。普段肉や魚など動物性たんぱく質ばかり摂っている自分自身、ちょっと反省。
VTRでヨーグルトの作り方を紹介していたけど、家でも牛乳を使って同じように作れるのかなぁ?ちょっとやってみたい気も…
シプカに移住した高田夫妻の生活している家の家賃が7800円と言うのにはかなり驚き!日本の10分の1の物価なんて!!
思わず僕も移住してみたくなっちゃいました。(^O^)
リラの僧院を見てもやっぱり見事なテンペラ画が残っていたけど、いつの時代どんな土地でも、宗教というのは人間の大きな支えとなるものだと改めて感じた。
ロザリオ=rosaryはroseが語源だったなんて、知らなかった。辞書で調べてみると、rosaryには、バラ園(rose garden)の意味もあるそうで…なるほどぉ。そうだったのねん。
それにしても毎回、エンディングまで由佳さんの魅力いっぱいで…。番組Dの方、本当にありがとうございます。と心より言いたい。
今夜も由佳さんの笑顔と活躍が見られて本当に良かった…。
祝!1ヶ月突破!
2003年7月10日 あれっ!?
気が付いたらこの日記、1ヶ月突破していたんですなぁ。
初日記が6月9日だから、昨日7月9日で1ヶ月。
日記名の如くだらしない性格で、なんでも三日坊主なもので、過去、日記を書こうと思っても1週間ともったことが無かったのです。
ヒドいときは1日っきりで終わっちゃった(コレじゃ日記じゃなくて単なる「雑記」ですな)ってこともあるくらい。
それが1ヶ月も続くなんて、正直僕自身、非常に驚いているというのが本音。
32日で27日分の日記…
毎日欠かさずってのはムリだったけど、ほぼ毎日日記をつけたのは自分でも本当にこういう結果を出したのが信じられない。
…なんて言うほどのものでもないんですけどねー。スポーツなんかで記録出した訳じゃなし…
自分自身、なんに関しても持続力が足りないっていうのは、幼い頃からずっと分かっていた。
心底好きなことならば何とか持続するけど、それ以外のことは本当に飽きっぽい。
「熱し易く冷め易い」ってのかな?B型の典型みたいに言われることもあるけど、実際自分がそうなのだから認めざるを得ない。
100%信頼できるってもんじゃないけど、血液型による性格分析という観点から言うと、僕の性格は、大まかにはB型の典型と言って良いと思う。
〔大雑把でマイペース、根が明るくて社交的ではあるがワガママ〕
まさにその通りです。
でも、僕の場合、B型らしからぬ一面も結構あって、時間に関しては他人から敬遠されそうなくらい厳格な性質で、仕事で「何処何処に朝8時」なんて指示されると、目的地のすぐ近くまで7時30分くらいには着いていないと落ち着かないのだ。
…で、現場には、10分前には確実に着いていなければ自分自身許せない。
かなり遠方で、全く分からないところに行くときなどは、ムリしてでも早起きして、真っ暗なうちから家を出たりする。そして1時間も早く現場の間近まで到着してしまったり…なんてことも一度や二度ではない。
なのでそういう現場に行くとき、一人で行くのには問題ないのだが、誰か他の隊員も一緒となったときにはその隊員にも少し早いのを我慢して貰わなければならない。
会社から、そんなに早い時間だと相手がかわいそうだと、待ち合わせ時間の駆け引きをしてしまうことも多い。
僕「6時30分」
会社「7時で間に合いますよ」
僕「ギリギリじゃイヤなんですよ。じゃ6時40分」
会社「明日は土曜日だから道も空いてますよ。なんとか50分くらいで…」
僕「途中でコンビ二に寄るくらいの余裕は下さいよ。45分。これで決定!」
会社「ん〜。じゃあ45分で良いですよー。それじゃあ会社に45分に呼びますから、乗せて行ってくださいね」
…なんてことになって翌朝、僕は6時30分くらいには会社に着いて、45分にもう一人の隊員が来るのを待つことになるのだが、45分を過ぎても来なかったりすると、会社に
「ちゃんと45分って言ったの?来ないじゃん」
「ちゃんと家は出ているそうなのでもうすぐ着きますよ」
「もうすぐじゃなくて45分っていったんでしょ!それなら45分には着いていて当然でしょ?!ここで待ち合わせする分には構わないけど、現場の到着時間まで遅れて行ってトラブルになっても知りませんよ。隊員たちにもっとちゃんと時間厳守を徹底させないと…」
…なんて小言みたいなことを、いつも言ってしまうのだ。
昔からそうなのだが、僕は時間に関する強迫観念が過剰で、渋滞に巻き込まれたりして遅れそうになると、車を運転していて時計を見ながら、もう耐えられないほどイラついてしまう。
この過剰な時間観念は、もしかしたら一種の精神病なのかもしれないとも思う。
…こういう性質の人って僕意外にも結構居たりするのだろうか?
なんて考えてしまったりして…
…で、再び、これまでの日記を振り返ってみて…
日記というのは本来、その日の情報や、自分の身の回りで起こったこと。そしてそれに関しての感想などを書くものだが、僕の場合、古い思い出を、思い出しながら綴ってしまう傾向があるようだ。
もう少し日々の何気ないちょっとした出来事に目を向けるように心掛けたほうが良いのかも知れない。
今後も、そういうことに留意しながらなるべく続けて行きたいと思っています。
ありがたくも読んで頂いている皆さん、そういう所存ですので、何とぞよろしくお願いします。
(…って、まるでどこかのBBSのカキコみたいな閉め方ですねー)
気が付いたらこの日記、1ヶ月突破していたんですなぁ。
初日記が6月9日だから、昨日7月9日で1ヶ月。
日記名の如くだらしない性格で、なんでも三日坊主なもので、過去、日記を書こうと思っても1週間ともったことが無かったのです。
ヒドいときは1日っきりで終わっちゃった(コレじゃ日記じゃなくて単なる「雑記」ですな)ってこともあるくらい。
それが1ヶ月も続くなんて、正直僕自身、非常に驚いているというのが本音。
32日で27日分の日記…
毎日欠かさずってのはムリだったけど、ほぼ毎日日記をつけたのは自分でも本当にこういう結果を出したのが信じられない。
…なんて言うほどのものでもないんですけどねー。スポーツなんかで記録出した訳じゃなし…
自分自身、なんに関しても持続力が足りないっていうのは、幼い頃からずっと分かっていた。
心底好きなことならば何とか持続するけど、それ以外のことは本当に飽きっぽい。
「熱し易く冷め易い」ってのかな?B型の典型みたいに言われることもあるけど、実際自分がそうなのだから認めざるを得ない。
100%信頼できるってもんじゃないけど、血液型による性格分析という観点から言うと、僕の性格は、大まかにはB型の典型と言って良いと思う。
〔大雑把でマイペース、根が明るくて社交的ではあるがワガママ〕
まさにその通りです。
でも、僕の場合、B型らしからぬ一面も結構あって、時間に関しては他人から敬遠されそうなくらい厳格な性質で、仕事で「何処何処に朝8時」なんて指示されると、目的地のすぐ近くまで7時30分くらいには着いていないと落ち着かないのだ。
…で、現場には、10分前には確実に着いていなければ自分自身許せない。
かなり遠方で、全く分からないところに行くときなどは、ムリしてでも早起きして、真っ暗なうちから家を出たりする。そして1時間も早く現場の間近まで到着してしまったり…なんてことも一度や二度ではない。
なのでそういう現場に行くとき、一人で行くのには問題ないのだが、誰か他の隊員も一緒となったときにはその隊員にも少し早いのを我慢して貰わなければならない。
会社から、そんなに早い時間だと相手がかわいそうだと、待ち合わせ時間の駆け引きをしてしまうことも多い。
僕「6時30分」
会社「7時で間に合いますよ」
僕「ギリギリじゃイヤなんですよ。じゃ6時40分」
会社「明日は土曜日だから道も空いてますよ。なんとか50分くらいで…」
僕「途中でコンビ二に寄るくらいの余裕は下さいよ。45分。これで決定!」
会社「ん〜。じゃあ45分で良いですよー。それじゃあ会社に45分に呼びますから、乗せて行ってくださいね」
…なんてことになって翌朝、僕は6時30分くらいには会社に着いて、45分にもう一人の隊員が来るのを待つことになるのだが、45分を過ぎても来なかったりすると、会社に
「ちゃんと45分って言ったの?来ないじゃん」
「ちゃんと家は出ているそうなのでもうすぐ着きますよ」
「もうすぐじゃなくて45分っていったんでしょ!それなら45分には着いていて当然でしょ?!ここで待ち合わせする分には構わないけど、現場の到着時間まで遅れて行ってトラブルになっても知りませんよ。隊員たちにもっとちゃんと時間厳守を徹底させないと…」
…なんて小言みたいなことを、いつも言ってしまうのだ。
昔からそうなのだが、僕は時間に関する強迫観念が過剰で、渋滞に巻き込まれたりして遅れそうになると、車を運転していて時計を見ながら、もう耐えられないほどイラついてしまう。
この過剰な時間観念は、もしかしたら一種の精神病なのかもしれないとも思う。
…こういう性質の人って僕意外にも結構居たりするのだろうか?
なんて考えてしまったりして…
…で、再び、これまでの日記を振り返ってみて…
日記というのは本来、その日の情報や、自分の身の回りで起こったこと。そしてそれに関しての感想などを書くものだが、僕の場合、古い思い出を、思い出しながら綴ってしまう傾向があるようだ。
もう少し日々の何気ないちょっとした出来事に目を向けるように心掛けたほうが良いのかも知れない。
今後も、そういうことに留意しながらなるべく続けて行きたいと思っています。
ありがたくも読んで頂いている皆さん、そういう所存ですので、何とぞよろしくお願いします。
(…って、まるでどこかのBBSのカキコみたいな閉め方ですねー)
ヤイコ、コブクロ、一青窈
2003年7月9日 昨日は天気が悪いという予報だったので前日から仕事の受注件数が少なくて、お陰で仕事にありつけなかった。
でも実際のところ、天気はそんなに悪くなかったぞー!
結構晴れていた時間が長かったし、雨も殆ど降らなかった。
なんなんだろう?一体…
んで、大した一日じゃなかったので、昨日の日記はパス!
今日も、仕事的には――
201号線バイパスで片側2車線のうち、1車線を規制して、空いているほうの1車線に通行車両を通す。
…という単純なお仕事を丸一日やっていたくらいで、別段書くほどのことは何も無かったし、何かあったとしてもあんまり書く気にはならないような平凡な仕事だった。
帰宅して、なんか忘れていることがあるぞー。
んー?なんだったかなぁ〜?
そうだ!
先週借りてきたCDアルバム、金曜日までに返却しなきゃいけないのに、まだダビングしていなかった。
先週金曜日、レンタルCDショップで、『Grapefruits』(byコブクロ)と『music pool』(by矢井田瞳)を借りてきていたのだった。
現在、この日記を綴りながら、CD-Wラジカセでヤイコのほうをダビングしている。
コブクロのほうはもう終了し、5分ほど前からヤイコのほうを始めた。現在は2曲目『Dizzy Dive』が流れている。
♪曖昧に過ごしてきた日々にケリを〜 I want you,baby
会いたい泣かないで ほら朝が来る前にィ〜 Just I need you♪
やっぱりヤイコは、いつ聴いても良いなぁ〜。
ヤイコは『My Sweet Darlin』以来、完璧にハマってしまった。
以後のシングル曲、全て歌える男なんてざらには居ないだろう。
このアルバムをダビングしていなかったことを店で思い出したのだった。
ヤイコは高音が良い。下手な女性シンガーだと、ヤイコと同じ音階を歌っても高音の不快な声を発してしまう歌手も少なくない。
女性でもファルセットで高音を歌うシンガーは多い。ヤイコも曲や歌唱法によってはファルセットで歌う。だが『My Sweet Darlin』の
♪Darlin’ Darlin’ココに来て
見えるでしょ?ワタシが〜♪
くらいの高音は地声で歌える。
ヤイコのファルセットはとても安定していて聞き心地良いのだ。
歌唱法によるものだろうか、時々同じ音階の高音でもファルセットを使っていたり地声で歌っていたりもする。
そのうえ、声量がかなり豊かでパンチもある。
ロンドンのプロデューサーが目を付けたのも納得できる。
最新曲の『孤独なカウボーイ』も良かった。
早く新曲が出ないかなぁ…
コブクロも現在、一番お気に入りの男性ミュージシャンだ。
黒田クンの男らしいストレートな声はカッコ良いし、小渕クンのハモリはピカイチだし…。
かなりハモリが難しい曲も幾つかあるのだが、見事にハモっている。
ハモリのテクではチャゲ&飛鳥のチャゲよりももしかしたら上手いかも…
黒田クンのような発声での歌唱が出来る人は是非覚えてカラオケで歌ってみてください。
コブクロの名曲の数々は、おもっいっきり熱唱したらメッチャ気持ちいい曲ばかりです。
生命保険会社のCMにも使われて大ヒットになった『Yell〜エール』を初めて聴いたとき、その素朴でストレートなメッセージが、耳ではなく直接心に響いた。
次の曲『轍―わだち』も、歌詞の前向きな内容に曲がピッタリと一致していた。
…と書いているうちに、ヤイコのアルバムもダビングが終了した。
明日、仕事帰りにこの2枚を返却して、ついでに一青窈さんの、今日発売の新曲『金魚すくい』も借りて来よう。
♪えっちらと、やったんしょ
おっちらと、やったんしょ♪
頻繁に韻を踏んでいる歌詞も面白い。
ちなみに女性シンガーで目下一番ハマっているのがこの一青窈さんだ。
東洋的と言うか大陸的な雰囲気のただよう曲のイメージも良いし、微妙に鼻にかかっているような声も最高に美しくて良い。
彼女の曲の歌詞が好きだというのもある。
言葉の音の響きを感覚的に受け止めて、そのインスピレーション的感覚を大切にしているのが感じられるのだ。
例えば、大ヒット『もらい泣き』の「ええいいやぁ」や『音木箱』の「つららつらら」、『あこるでぃおん』の「しゅるりしゅるり」など…
でも、明日レンタルショップに『金魚すくい』残っているかなぁ…
全部貸し出し中で僕の分が無いのはイヤだなぁ…
…などと今から心配してしまう僕であった。
でも実際のところ、天気はそんなに悪くなかったぞー!
結構晴れていた時間が長かったし、雨も殆ど降らなかった。
なんなんだろう?一体…
んで、大した一日じゃなかったので、昨日の日記はパス!
今日も、仕事的には――
201号線バイパスで片側2車線のうち、1車線を規制して、空いているほうの1車線に通行車両を通す。
…という単純なお仕事を丸一日やっていたくらいで、別段書くほどのことは何も無かったし、何かあったとしてもあんまり書く気にはならないような平凡な仕事だった。
帰宅して、なんか忘れていることがあるぞー。
んー?なんだったかなぁ〜?
そうだ!
先週借りてきたCDアルバム、金曜日までに返却しなきゃいけないのに、まだダビングしていなかった。
先週金曜日、レンタルCDショップで、『Grapefruits』(byコブクロ)と『music pool』(by矢井田瞳)を借りてきていたのだった。
現在、この日記を綴りながら、CD-Wラジカセでヤイコのほうをダビングしている。
コブクロのほうはもう終了し、5分ほど前からヤイコのほうを始めた。現在は2曲目『Dizzy Dive』が流れている。
♪曖昧に過ごしてきた日々にケリを〜 I want you,baby
会いたい泣かないで ほら朝が来る前にィ〜 Just I need you♪
やっぱりヤイコは、いつ聴いても良いなぁ〜。
ヤイコは『My Sweet Darlin』以来、完璧にハマってしまった。
以後のシングル曲、全て歌える男なんてざらには居ないだろう。
このアルバムをダビングしていなかったことを店で思い出したのだった。
ヤイコは高音が良い。下手な女性シンガーだと、ヤイコと同じ音階を歌っても高音の不快な声を発してしまう歌手も少なくない。
女性でもファルセットで高音を歌うシンガーは多い。ヤイコも曲や歌唱法によってはファルセットで歌う。だが『My Sweet Darlin』の
♪Darlin’ Darlin’ココに来て
見えるでしょ?ワタシが〜♪
くらいの高音は地声で歌える。
ヤイコのファルセットはとても安定していて聞き心地良いのだ。
歌唱法によるものだろうか、時々同じ音階の高音でもファルセットを使っていたり地声で歌っていたりもする。
そのうえ、声量がかなり豊かでパンチもある。
ロンドンのプロデューサーが目を付けたのも納得できる。
最新曲の『孤独なカウボーイ』も良かった。
早く新曲が出ないかなぁ…
コブクロも現在、一番お気に入りの男性ミュージシャンだ。
黒田クンの男らしいストレートな声はカッコ良いし、小渕クンのハモリはピカイチだし…。
かなりハモリが難しい曲も幾つかあるのだが、見事にハモっている。
ハモリのテクではチャゲ&飛鳥のチャゲよりももしかしたら上手いかも…
黒田クンのような発声での歌唱が出来る人は是非覚えてカラオケで歌ってみてください。
コブクロの名曲の数々は、おもっいっきり熱唱したらメッチャ気持ちいい曲ばかりです。
生命保険会社のCMにも使われて大ヒットになった『Yell〜エール』を初めて聴いたとき、その素朴でストレートなメッセージが、耳ではなく直接心に響いた。
次の曲『轍―わだち』も、歌詞の前向きな内容に曲がピッタリと一致していた。
…と書いているうちに、ヤイコのアルバムもダビングが終了した。
明日、仕事帰りにこの2枚を返却して、ついでに一青窈さんの、今日発売の新曲『金魚すくい』も借りて来よう。
♪えっちらと、やったんしょ
おっちらと、やったんしょ♪
頻繁に韻を踏んでいる歌詞も面白い。
ちなみに女性シンガーで目下一番ハマっているのがこの一青窈さんだ。
東洋的と言うか大陸的な雰囲気のただよう曲のイメージも良いし、微妙に鼻にかかっているような声も最高に美しくて良い。
彼女の曲の歌詞が好きだというのもある。
言葉の音の響きを感覚的に受け止めて、そのインスピレーション的感覚を大切にしているのが感じられるのだ。
例えば、大ヒット『もらい泣き』の「ええいいやぁ」や『音木箱』の「つららつらら」、『あこるでぃおん』の「しゅるりしゅるり」など…
でも、明日レンタルショップに『金魚すくい』残っているかなぁ…
全部貸し出し中で僕の分が無いのはイヤだなぁ…
…などと今から心配してしまう僕であった。
七夕の夜に祈ったこと
2003年7月7日 七夕の夜に星空が見えた記憶があまりない。
今日、ラジオで七夕の夜空が見える確率は30%だと言っていた。
7月7日なんて、例年梅雨真っ最中、だから仕方ないのだが…。
七夕のお祭りだけは旧暦で祝うべきだと思うのだけれど…
今日の仕事はちょっと久しぶりのN社さん。
国道の道路上における諸々の作業。
朝イチの仕事は国道3号線、東区名島付近の道路上にこびりついていたネコの死体の撤去。
それに伴なう交通誘導をするわけだが、場所は横断歩道の中だったので赤信号の間に迅速に行われたので実際のところ、殆ど何もする必要はなかった。
朝からネコの死体の撤去作業を目にするなんて気が滅入ってしまう。
大きさから察するに、まだ子ネコだったようだ。
ぺっちゃんこになってしまった子ネコの死体を、角型スコップで剥ぎ、掬い取ってビニール袋に納める。
まだアスファルトにこびりついている肉片をスコップでガガガガとこそぎ取り、一緒に袋に入れた。
その作業は、もう動物に対するものではなく、単なるゴミくずの撤去作業に過ぎない、そんな事務的な作業だった。
僕は車を運転中、車に轢かれて道路上に無残に放置されているイヌやネコの死体を見る度に、いつも胸が締め付けられるような気持ちになる。
だからその一連の作業中も、その物体を直視することは出来なかった。
作業員たちは作業を終えるとすぐ近くにあった草地の土に穴を掘って埋めてしまった。
え?…こんなんでいいの?
僕はてっきりこういう死体は保健所に行くものだと思っていた。
保健所ではこういう動物の死体が回収されてくると焼却の前に簡単な供養が施されるというのを聞いたことがあったが、こんなのでは供養も何もあったものではない。
無残にも残骸になってしまったとは言え、数時間前までは生命があったのだ。形だけでも供養して上げる人が居ないのは悲しいものだと思う。
小さな身体でチョコチョコと可愛らしく走り回っていたのだろう。そう思うととても可哀想に思えてしまった。
埋められたあと、僕は手を合わせて少し双眸を閉じて、軽く冥福を祈った。
東京で一人暮らしをしていた頃、アパートでネコを飼っていたし、春日市の実家でも両親はずっとネコを2匹飼っていた。
だからネコは大好き…というより、ネコもイヌも…動物はなんでも好きだ。
ムツゴロウさんではないが、動物はみんな愛すべき存在だと思っている。
ヘビだって、毒さえ無ければ平気で触ることができるし…苦手なのは大きなクモやムカデなどの毒虫系くらいだ。
思い出してみると、東京で飼っていたネコも、交通事故で亡くしたのだった。
片手に乗るほど小さく、顔も可愛く、それに全く人見知りしない人懐っこいネコだった。衝動的に抱き上げると甘えるように指にじゃれ付いてきた。
原チャリだったので、フルフェイスヘルメットの中に隠してアパートに連れ帰った。
当時僕が住んでいたのは板橋区の東武東上線常盤台駅から徒歩7分ほど、次の上板橋駅との真ん中よりほんの少しだけ常盤台寄りにあったアパートだった。
小さな商店を営む大家さんの敷地内、奥に建つ二階建て4部屋の小じんまりしたアパートだった。
僕の部屋は1階奥の角部屋。4畳半プラス約3畳半のキッチンにトイレ付きだった。風呂は無かったので近くの銭湯を利用していた。
通りに面した引き戸を開けると左手に大家さんの住宅兼お店があった。その横を通ってアパートにたどり着くのだが、1階のお店に続いている居間から土間があって大きなテラス窓から出入りできるようになっていた。
テラス窓なので大家さんが中に居てこちらの帰宅に気づくと視線が合うことがあり、会釈をして部屋に戻ることになるのだが、このアパートは原則として動物禁止だったのでヘルメットからネコが見えないようにヒヤヒヤしながら駆け込むようにして部屋に帰った。
「みーん」と可愛らしく鳴く♂なので、命名「ミンタロウ」、通称は「ミン」だった。
大家さんが隣に住んでいるので、案の定1週間もせずにミンの存在がバレてしまった。
しかし、意外なことにミンはなんとも世渡り上手。
大家さんに上手に甘えてくれたお陰で、特別にミンを買う許可が頂けて、とてもラッキーだった。
輪郭も目も鼻もクルクルっと丸っこくて愛嬌のある大変可愛い顔をしていたのも、大家さんが気に入ってくれた原因だった。
大家さんはテラス窓の中の土間のところにネコトイレを置いて、よく自分の居間に連れて行き、コタツに入れてやったりと大変可愛がってくれた。
仕事で遅い日などは、電話すると合鍵を使って僕の部屋からミンを連れて行き、僕の帰宅まで預かってくれた。
虚勢手術をしに動物病院に行くときも、「少しだけでも手術費出してあげようか」と言ってくれたほどだった。
外に出たいときは窓やドアの前に座り込み、こっちを向いて「みーん」と一鳴きする。
帰ってくるときも窓が閉まっていると、窓の外で僕が気づくまで鳴いて「開けてくれ」と要求する。
夜出してやったきりなかなか帰って来ず、「もう寝るから帰って来い」とばかりに窓を全開にして外に手を出してパンパンと両手の平を叩き、暫く待っているとちゃんと帰ってくる。
何一つ教えていないのに本当に賢いネコだった。
ミンが亡くなった日は、雪がちらちら舞う、寒い1月5日のことだった。
仕事を終えて帰宅前、ミンを引き取ろうと大家さんの所に寄ると、
「夕方に出て以来、帰ってこないからずっと探していたんだけど…」
部屋へは戻らずそのままミンを探しに出た。
少し探していると、入口の引き戸の、通りを隔てた反対側の歩道の植え込みの辺りがボワーンと微かに光った(ように見えた)。
駆け寄ると、植え込みの真下、土の上に隠れるように横たわっていた。そこから真正面に引き戸が見える。
植え込みの下からミンを引きずり出すと、もう息をしていなかった。
外傷は全く無かったが半開きの口から垂れていた血は凝固し始めていた。
抱き上げたミンの身体は、柔軟さと体温をまだ殆ど保っていた。亡くなって間がないようだった。
大家さんは「そう言えば…2、30分くらい前に、自動車のすごい急ブレーキの音を聞いた」と思い出した。
車に轢かれた身体を引きずってこの場所に隠れ、虫の息の状態で僕の帰宅を待っていたのかも知れない。帰って来て引き戸から入って行く僕の姿を見てから、ようやく安らかな永眠に入れたに違いない。
まだ平温と殆ど変化ないミンの体温を肌に感じて、僕はそう思い、ミンに心中「待っててくれてありがとう」と感謝した。
それを思うと、今こうしてそのことを思い出しながら日記を綴っているだけで涙が込み上げてきて、涙を拭き拭きキーを叩いている。
歩道の上、動かなくなったミンを抱きしめ、大家さんがそばにいることも忘れ、男のプライドなんてかなぐり捨てて一頻り泣きじゃくった。
部屋にミンをつれ帰り、次第に硬くなっていく亡骸に寄り添うようにして、一晩中楽しかった思い出を一つ一つ辿りながら泣き明かしてしまった。
あの悲しみに暮れた夜のことが、今でもつい先日のように思い出される。
もう10年以上も前のことだが、雨に隠された七夕の星に、不意に思い出してしまった愛猫の冥福を祈った夜だった。
こんな古いことだけど今ごろ祈ったって良いですよね。七夕さま。
今日、ラジオで七夕の夜空が見える確率は30%だと言っていた。
7月7日なんて、例年梅雨真っ最中、だから仕方ないのだが…。
七夕のお祭りだけは旧暦で祝うべきだと思うのだけれど…
今日の仕事はちょっと久しぶりのN社さん。
国道の道路上における諸々の作業。
朝イチの仕事は国道3号線、東区名島付近の道路上にこびりついていたネコの死体の撤去。
それに伴なう交通誘導をするわけだが、場所は横断歩道の中だったので赤信号の間に迅速に行われたので実際のところ、殆ど何もする必要はなかった。
朝からネコの死体の撤去作業を目にするなんて気が滅入ってしまう。
大きさから察するに、まだ子ネコだったようだ。
ぺっちゃんこになってしまった子ネコの死体を、角型スコップで剥ぎ、掬い取ってビニール袋に納める。
まだアスファルトにこびりついている肉片をスコップでガガガガとこそぎ取り、一緒に袋に入れた。
その作業は、もう動物に対するものではなく、単なるゴミくずの撤去作業に過ぎない、そんな事務的な作業だった。
僕は車を運転中、車に轢かれて道路上に無残に放置されているイヌやネコの死体を見る度に、いつも胸が締め付けられるような気持ちになる。
だからその一連の作業中も、その物体を直視することは出来なかった。
作業員たちは作業を終えるとすぐ近くにあった草地の土に穴を掘って埋めてしまった。
え?…こんなんでいいの?
僕はてっきりこういう死体は保健所に行くものだと思っていた。
保健所ではこういう動物の死体が回収されてくると焼却の前に簡単な供養が施されるというのを聞いたことがあったが、こんなのでは供養も何もあったものではない。
無残にも残骸になってしまったとは言え、数時間前までは生命があったのだ。形だけでも供養して上げる人が居ないのは悲しいものだと思う。
小さな身体でチョコチョコと可愛らしく走り回っていたのだろう。そう思うととても可哀想に思えてしまった。
埋められたあと、僕は手を合わせて少し双眸を閉じて、軽く冥福を祈った。
東京で一人暮らしをしていた頃、アパートでネコを飼っていたし、春日市の実家でも両親はずっとネコを2匹飼っていた。
だからネコは大好き…というより、ネコもイヌも…動物はなんでも好きだ。
ムツゴロウさんではないが、動物はみんな愛すべき存在だと思っている。
ヘビだって、毒さえ無ければ平気で触ることができるし…苦手なのは大きなクモやムカデなどの毒虫系くらいだ。
思い出してみると、東京で飼っていたネコも、交通事故で亡くしたのだった。
片手に乗るほど小さく、顔も可愛く、それに全く人見知りしない人懐っこいネコだった。衝動的に抱き上げると甘えるように指にじゃれ付いてきた。
原チャリだったので、フルフェイスヘルメットの中に隠してアパートに連れ帰った。
当時僕が住んでいたのは板橋区の東武東上線常盤台駅から徒歩7分ほど、次の上板橋駅との真ん中よりほんの少しだけ常盤台寄りにあったアパートだった。
小さな商店を営む大家さんの敷地内、奥に建つ二階建て4部屋の小じんまりしたアパートだった。
僕の部屋は1階奥の角部屋。4畳半プラス約3畳半のキッチンにトイレ付きだった。風呂は無かったので近くの銭湯を利用していた。
通りに面した引き戸を開けると左手に大家さんの住宅兼お店があった。その横を通ってアパートにたどり着くのだが、1階のお店に続いている居間から土間があって大きなテラス窓から出入りできるようになっていた。
テラス窓なので大家さんが中に居てこちらの帰宅に気づくと視線が合うことがあり、会釈をして部屋に戻ることになるのだが、このアパートは原則として動物禁止だったのでヘルメットからネコが見えないようにヒヤヒヤしながら駆け込むようにして部屋に帰った。
「みーん」と可愛らしく鳴く♂なので、命名「ミンタロウ」、通称は「ミン」だった。
大家さんが隣に住んでいるので、案の定1週間もせずにミンの存在がバレてしまった。
しかし、意外なことにミンはなんとも世渡り上手。
大家さんに上手に甘えてくれたお陰で、特別にミンを買う許可が頂けて、とてもラッキーだった。
輪郭も目も鼻もクルクルっと丸っこくて愛嬌のある大変可愛い顔をしていたのも、大家さんが気に入ってくれた原因だった。
大家さんはテラス窓の中の土間のところにネコトイレを置いて、よく自分の居間に連れて行き、コタツに入れてやったりと大変可愛がってくれた。
仕事で遅い日などは、電話すると合鍵を使って僕の部屋からミンを連れて行き、僕の帰宅まで預かってくれた。
虚勢手術をしに動物病院に行くときも、「少しだけでも手術費出してあげようか」と言ってくれたほどだった。
外に出たいときは窓やドアの前に座り込み、こっちを向いて「みーん」と一鳴きする。
帰ってくるときも窓が閉まっていると、窓の外で僕が気づくまで鳴いて「開けてくれ」と要求する。
夜出してやったきりなかなか帰って来ず、「もう寝るから帰って来い」とばかりに窓を全開にして外に手を出してパンパンと両手の平を叩き、暫く待っているとちゃんと帰ってくる。
何一つ教えていないのに本当に賢いネコだった。
ミンが亡くなった日は、雪がちらちら舞う、寒い1月5日のことだった。
仕事を終えて帰宅前、ミンを引き取ろうと大家さんの所に寄ると、
「夕方に出て以来、帰ってこないからずっと探していたんだけど…」
部屋へは戻らずそのままミンを探しに出た。
少し探していると、入口の引き戸の、通りを隔てた反対側の歩道の植え込みの辺りがボワーンと微かに光った(ように見えた)。
駆け寄ると、植え込みの真下、土の上に隠れるように横たわっていた。そこから真正面に引き戸が見える。
植え込みの下からミンを引きずり出すと、もう息をしていなかった。
外傷は全く無かったが半開きの口から垂れていた血は凝固し始めていた。
抱き上げたミンの身体は、柔軟さと体温をまだ殆ど保っていた。亡くなって間がないようだった。
大家さんは「そう言えば…2、30分くらい前に、自動車のすごい急ブレーキの音を聞いた」と思い出した。
車に轢かれた身体を引きずってこの場所に隠れ、虫の息の状態で僕の帰宅を待っていたのかも知れない。帰って来て引き戸から入って行く僕の姿を見てから、ようやく安らかな永眠に入れたに違いない。
まだ平温と殆ど変化ないミンの体温を肌に感じて、僕はそう思い、ミンに心中「待っててくれてありがとう」と感謝した。
それを思うと、今こうしてそのことを思い出しながら日記を綴っているだけで涙が込み上げてきて、涙を拭き拭きキーを叩いている。
歩道の上、動かなくなったミンを抱きしめ、大家さんがそばにいることも忘れ、男のプライドなんてかなぐり捨てて一頻り泣きじゃくった。
部屋にミンをつれ帰り、次第に硬くなっていく亡骸に寄り添うようにして、一晩中楽しかった思い出を一つ一つ辿りながら泣き明かしてしまった。
あの悲しみに暮れた夜のことが、今でもつい先日のように思い出される。
もう10年以上も前のことだが、雨に隠された七夕の星に、不意に思い出してしまった愛猫の冥福を祈った夜だった。
こんな古いことだけど今ごろ祈ったって良いですよね。七夕さま。
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早起きにもほどがあるっつーの!
2003年7月6日 会社から休日出勤を頼まれ、渋々ながらでも承諾してしまったその結果、なんと4時起き!
シャレんなんないよぉー。
4時ってったら、まだ魑魅魍魎の活動時間内じゃないっすか。
ただでさえ若干霊感があるのに、幽霊サンに出会ったらどーするの?!まったく…
別にどーもしないんですけどね…(^_^;)
…で、4時起床で服着たり身支度して、4時半に出発。45分に城南線の鳥飼のローソン前でYクンを拾って太宰府市に向かう。
今日の仕事先は太宰府市にあるD大学。
ココで本日、建築土木検定1級の国家試験が開催される。
この大学は様々な国家試験の会場としてよく利用されている。
この大学で開催される国家試験の受験者は公共の交通機関を利用することが原則となっているのだが、九州各県から集結してくる受験者のうちには、
「駐車場はありませんので自動車による来校はダメです。公共交通機関を利用してください」
という通達にもかかわらず、のこのこと車でやってくるタワケ者がけっこう居たりする。
誰かが大学まで送ってくる分には問題ないのだが、本人が運転してきても車を置く場所などありはしない。
そこで、車でやってきた「ふてえ野郎」は、なんとか車を停められる場所を探すわけだが、路上はもちろん、近所にある書店やラーメン店、B電器やレンタルビデオ店の駐車場などに勝手に無断駐車しないように警備員が見張り、万一受験者が駐車しようとしたら排除するのが仕事である。
仕事開始時間は朝6時。大学正門前に5時30分までに集合ということになっているので、早良区からの僕などは4時半ごろには出発しないといけないのだ。
いや〜、それにしても眠い。Yクンを乗せているのに、車を運転しながら必死で睡魔と死闘を繰り広げていた。
途中、コンビニでおにぎりを買ってぱくつきながら来たので少し時間を要したが、どうにか5時20分頃には到着した。
僕の配置は大学から東に約500mの位置にあるレンタルビデオ店である。
この駐車場は営業時間外も店内入口の外に設けてある返却ポストの利用者が多いので、営業時間外も駐車場への出入りは自由である。
そのうえ、一度に50台近く駐車できる広さがあるので当初のうちはここに駐める受験者も時々居たらしい。
警備員が立つようになって以降、無断駐車も全く居なくなったらしい。
ただし、ここに立つ者は、何もすることがない。
立ってさえいれば店に関係の無い車両は入って来ないので、立っているだけであとは何もする必要がないのだ。
午後2時まで8時間フルに暇を持て余す、精神的にかなり辛い仕事を何とか凌がなければならない。
だから僕はずーっと制服の中に入れた携帯ミニラジオをイヤホンで聞いていた。
それにしても日曜日の早朝は、どうしてラジオは宗教番組の連続なんだろう?
んなもん、誰が聴くっちゅーねんっ!勘弁してくれーっ!
今日も何度「外郎売り」を繰り返し、お気に入り曲の数々も何曲歌ったことだろう?
こういう退屈の極限を体験するような仕事を終えたあとは、身体は全然疲れていないのに精神がかなり疲労している。
お陰で帰宅後も、何もする気も起きず、またずーっと、ぐーたらかましてしまった。
ふぅ〜っ、ちょっち自己嫌悪…
シャレんなんないよぉー。
4時ってったら、まだ魑魅魍魎の活動時間内じゃないっすか。
ただでさえ若干霊感があるのに、幽霊サンに出会ったらどーするの?!まったく…
別にどーもしないんですけどね…(^_^;)
…で、4時起床で服着たり身支度して、4時半に出発。45分に城南線の鳥飼のローソン前でYクンを拾って太宰府市に向かう。
今日の仕事先は太宰府市にあるD大学。
ココで本日、建築土木検定1級の国家試験が開催される。
この大学は様々な国家試験の会場としてよく利用されている。
この大学で開催される国家試験の受験者は公共の交通機関を利用することが原則となっているのだが、九州各県から集結してくる受験者のうちには、
「駐車場はありませんので自動車による来校はダメです。公共交通機関を利用してください」
という通達にもかかわらず、のこのこと車でやってくるタワケ者がけっこう居たりする。
誰かが大学まで送ってくる分には問題ないのだが、本人が運転してきても車を置く場所などありはしない。
そこで、車でやってきた「ふてえ野郎」は、なんとか車を停められる場所を探すわけだが、路上はもちろん、近所にある書店やラーメン店、B電器やレンタルビデオ店の駐車場などに勝手に無断駐車しないように警備員が見張り、万一受験者が駐車しようとしたら排除するのが仕事である。
仕事開始時間は朝6時。大学正門前に5時30分までに集合ということになっているので、早良区からの僕などは4時半ごろには出発しないといけないのだ。
いや〜、それにしても眠い。Yクンを乗せているのに、車を運転しながら必死で睡魔と死闘を繰り広げていた。
途中、コンビニでおにぎりを買ってぱくつきながら来たので少し時間を要したが、どうにか5時20分頃には到着した。
僕の配置は大学から東に約500mの位置にあるレンタルビデオ店である。
この駐車場は営業時間外も店内入口の外に設けてある返却ポストの利用者が多いので、営業時間外も駐車場への出入りは自由である。
そのうえ、一度に50台近く駐車できる広さがあるので当初のうちはここに駐める受験者も時々居たらしい。
警備員が立つようになって以降、無断駐車も全く居なくなったらしい。
ただし、ここに立つ者は、何もすることがない。
立ってさえいれば店に関係の無い車両は入って来ないので、立っているだけであとは何もする必要がないのだ。
午後2時まで8時間フルに暇を持て余す、精神的にかなり辛い仕事を何とか凌がなければならない。
だから僕はずーっと制服の中に入れた携帯ミニラジオをイヤホンで聞いていた。
それにしても日曜日の早朝は、どうしてラジオは宗教番組の連続なんだろう?
んなもん、誰が聴くっちゅーねんっ!勘弁してくれーっ!
今日も何度「外郎売り」を繰り返し、お気に入り曲の数々も何曲歌ったことだろう?
こういう退屈の極限を体験するような仕事を終えたあとは、身体は全然疲れていないのに精神がかなり疲労している。
お陰で帰宅後も、何もする気も起きず、またずーっと、ぐーたらかましてしまった。
ふぅ〜っ、ちょっち自己嫌悪…
前日の続きもちょこっと…
2003年7月5日 今日は久しぶりに一日中片側交互通行をやった。
片側交互通行というのは、よく工事中の現場で、反対側から来る車が全て通り終えるまで、誘導員に通行を止められて待たされている車を見たことがある方も多いと思いますが、あれです。
2車線ある車線のうちの一つをつぶし、カラーコーンなどで囲ってその中に工事車両を入れて作業が進められる。
そのとき、空いているほうの1車線だけで、車を双方向から交互に通すのです。
両方向から来る車両を確認しながら、反対側から車を通しているときにもし車が来たら、確実にストップしてもらわないといけないのです。
通行止めなどの現場では「通行止め」と書かれた工事看板を立て、その横にじーっと立っているだけ。車が来たときだけ通行止めを理解してもらい迂回して頂く。はっきり言ってめっちゃ退屈な仕事。
それに比べると「片側交互通行」は絶えず360度前方向に気を配っていなければならず、絶えず動き続ける。
でもボクは暇な現場より、「片側交互通行」のような忙しい現場のほうが、時間が過ぎるのが早くて好きだ。
隊員によっては面倒なのはイヤで、暇なほうがいいという者も居る。
「片側交互通行」でも規制範囲の長さによってもやり方を考えなければならないし、規制範囲の中にわき道や交差点がある場合は、真ん中で交差道路からの車両を誘導する誘導員が一人必要になる。
交通量の少ない田舎道と街中の国道などはまた忙しさも天地の差が生じてくる。
車両だけではなく、自転車や歩行者などにも気を配らなければならず、つまりは交通誘導員には、「迅速な臨機応変さ」こそが適性要因だといえる。
ボクも、全身を絶えず動かし誘導灯を操って一日中やっていたが、久しぶりにやると結構楽しかった。
ちょっとアレンジしてダンサブルな動きを取り入れるのもなかなか楽しかったりする。
ところで昨日のあの、思い出すのもムカツクほど激怒したあの出来事の後、会社から帰宅していた途中、突然車のフロントガラスを散弾銃のような大量の水滴が襲った。
この雨粒がもし銃弾だったら本当に、僕も車も蜂の巣である。
でも僕は車中の人。雨なんて痛くも痒くもない。
そのとき、ふと気が付いた。
晴れ男のボクを怒らせたから、僕に味方した天気が雨を降らせたのだろうか?
それとも…この雨が降るからびしょ濡れにならないようにと、天気を司る神様が、多少僕を怒らせてしまったがけっこう強引な強攻策で安全な車内に避難させたのだろうか?
…そう考えると、ずいぶん「怒り指数」も激減した。
本当に、自分自身、「究極のプラス思考」の持ち主であることが幸いしているようだ。
だって、いつまでも引きずっているのはイヤだもん!
実際、幼い頃から僕は、どんなに苦しいこと、イヤなこと、悲しいことがあっても、一晩寝たら翌朝の起床までにリセットされてしまい、忘れられなくても、ムリにでも忘れてしまえる本当に都合のいい性格だ。
子供の頃、父親からこっ酷く叱られた翌日、何事も無かったかのように
「あ、お父さん!おはよう!」
という僕に父はいつも
「昨日の今日でお前はよくそんな元気やな〜」
と言っていたのを思い出してしまった。
イヤなことなんて早く忘れてしまわなきゃ。
イヤなこと忘れるのも早い者勝ち!
…ですよねー。
…って、実は単に、性格がイイカゲンなだけだったりして…(^O^)
片側交互通行というのは、よく工事中の現場で、反対側から来る車が全て通り終えるまで、誘導員に通行を止められて待たされている車を見たことがある方も多いと思いますが、あれです。
2車線ある車線のうちの一つをつぶし、カラーコーンなどで囲ってその中に工事車両を入れて作業が進められる。
そのとき、空いているほうの1車線だけで、車を双方向から交互に通すのです。
両方向から来る車両を確認しながら、反対側から車を通しているときにもし車が来たら、確実にストップしてもらわないといけないのです。
通行止めなどの現場では「通行止め」と書かれた工事看板を立て、その横にじーっと立っているだけ。車が来たときだけ通行止めを理解してもらい迂回して頂く。はっきり言ってめっちゃ退屈な仕事。
それに比べると「片側交互通行」は絶えず360度前方向に気を配っていなければならず、絶えず動き続ける。
でもボクは暇な現場より、「片側交互通行」のような忙しい現場のほうが、時間が過ぎるのが早くて好きだ。
隊員によっては面倒なのはイヤで、暇なほうがいいという者も居る。
「片側交互通行」でも規制範囲の長さによってもやり方を考えなければならないし、規制範囲の中にわき道や交差点がある場合は、真ん中で交差道路からの車両を誘導する誘導員が一人必要になる。
交通量の少ない田舎道と街中の国道などはまた忙しさも天地の差が生じてくる。
車両だけではなく、自転車や歩行者などにも気を配らなければならず、つまりは交通誘導員には、「迅速な臨機応変さ」こそが適性要因だといえる。
ボクも、全身を絶えず動かし誘導灯を操って一日中やっていたが、久しぶりにやると結構楽しかった。
ちょっとアレンジしてダンサブルな動きを取り入れるのもなかなか楽しかったりする。
ところで昨日のあの、思い出すのもムカツクほど激怒したあの出来事の後、会社から帰宅していた途中、突然車のフロントガラスを散弾銃のような大量の水滴が襲った。
この雨粒がもし銃弾だったら本当に、僕も車も蜂の巣である。
でも僕は車中の人。雨なんて痛くも痒くもない。
そのとき、ふと気が付いた。
晴れ男のボクを怒らせたから、僕に味方した天気が雨を降らせたのだろうか?
それとも…この雨が降るからびしょ濡れにならないようにと、天気を司る神様が、多少僕を怒らせてしまったがけっこう強引な強攻策で安全な車内に避難させたのだろうか?
…そう考えると、ずいぶん「怒り指数」も激減した。
本当に、自分自身、「究極のプラス思考」の持ち主であることが幸いしているようだ。
だって、いつまでも引きずっているのはイヤだもん!
実際、幼い頃から僕は、どんなに苦しいこと、イヤなこと、悲しいことがあっても、一晩寝たら翌朝の起床までにリセットされてしまい、忘れられなくても、ムリにでも忘れてしまえる本当に都合のいい性格だ。
子供の頃、父親からこっ酷く叱られた翌日、何事も無かったかのように
「あ、お父さん!おはよう!」
という僕に父はいつも
「昨日の今日でお前はよくそんな元気やな〜」
と言っていたのを思い出してしまった。
イヤなことなんて早く忘れてしまわなきゃ。
イヤなこと忘れるのも早い者勝ち!
…ですよねー。
…って、実は単に、性格がイイカゲンなだけだったりして…(^O^)
怒髪天をツクツクボウシ!
2003年7月4日 ふだん、滅多に怒りを露わにせぬこの僕が、今日は本気で立腹した。
立腹どころか心中では「超々激怒」状態だったのだが…。
事の起こり…というより数週間前のことから書いたほうが理解し易いだろう。
とある植樹関係の会社の、歩道上の植え込みを整備して行く作業に伴ない、車道を走行している一般車両にほんの少しだけ右側によってもらうように誘導する。
その日は一日そんな内容の仕事で、現場ではトラブルや危険なことなども一切なく無事に仕事を終え、監督さん(壮年の女性・名前は知らないので「Xさん」とする)や現場の作業員たちに別れを告げて帰宅した。
そして数日後、会社へ行くと、会社の上司から
「あそこの現場で何かありました?」
「いいえ、何も。どーして?」
「Xさんから、僕は今後この現場にやらないでと言ってきたので…」
「…?」
「いえ、ただそう聞いただけで、なにがどうしたとは聞いてないんですけど…」
僕に何か落ち度があったのなら兎に角、何のトラブルも落ち度もなく、だしぬけにそんなことを言われても、まさに寝耳に水だ。
「原因は何も言われなかったんですか?」
「うん、だから何があったのかIさん(僕のこと・本名はイニシャルA・I)に聞こうと思っていたんだけど…」
会社で責任者的存在のKが言うには
「Xさんは人の好き嫌いが激しいみたいやもんね。もしかしたら個人的になんかあるとかも知れんけど…」
個人的な好き嫌いを仕事に持ち込まれるなんて冗談ない。
仮にも現場責任者の位置にある人間。適性を欠いているとしか言いようがない。
そんな訳で、納得できないまま、理不尽にも一方的にその現場(N・Gという取引先)では仕事ができなくなってしまったのだ。
…で昨日、電話で翌日の現場について聞くと、N・Gさんだと言う。
「N・Gさんはあんなことがあったからマズイんじゃ?」
「明日はN・Gさんでも、Xさんは別現場でIさんの所には来ないから大丈夫」
それならと、詳しい場所を聞き了解した。
そして今日、福岡市西区と前原市の市境付近の現場に時間の15分前には到着した。
会社に到着報告をし、ついでに待ち合わせ場所に間違いはないか確認した。間違いなしとのことで待っていたが、時間になっても先方が来ない。
こういう業社は、時間にルーズなところも少なくない。
また遅れるのかな…などと待っていると、5分ほど過ぎて、約100m離れた一本西側の道の辺りに工事車両らしき車が数台停まり、一台のトラックはバックで歩道の中に入った。
そんな動きをトラックがするときは誘導員が誘導しなければ歩行者に危険が及ぶ。
遠くて見えないが、きっと誘導員が居てバック誘導をしているのだろう。ということはこっちの仕事とは無関係な何かの道路工事でも始めるのかな?
「それにしてもこっちの業者さんは遅いなぁ…」
もう15分過ぎようとしていた。
向こうの工事の辺りを暫く見ていたが、誘導員らしき姿は見えない。
もしかしたら、向こうは僕の仕事の業者さんではないのか?
会社にTELして再度場所確認をしようとした。
100m離れた約束の場所とは異なる場所に工事車両らしきものが来ているが違うだろうか?と聞くと、先方からもたった今連絡があり、誘導員が居ないと連絡が入ったと言う。
「じゃあ、場所が間違っていたんですよ!」
携帯を切り、100m離れた現場に向かうと、例のXさんが居るではないか!
「スイマセン、ウチの会社のほうが、待ち合わせ場所間違っていたみたいで向こうの角だと言われていたもので…ちゃんと会社に言っておきますから…」
説明すると、彼女は承諾してくれたようで、それ以上何も言われなかったので、すぐに仕事に取り掛かった。
Xさんは現場の開始に関してあれこれと指示し、自分は中央区のほうに現場があるらしく、30分くらいで市内に向かってトラックを走らせて行った。
現場には3人ほどの男性が残って作業を始め、僕も普通に仕事をしていると、暫くして携帯が鳴った。
Xさんから会社に電話があり、
「誘導員を変えてくれ」と言ってきたのだという。
何かあったのかと聞かれたので、朝の集合場所の行き違いがあったがそれ以外何も咎められたりはしていないと話した。
先方からそう言われた限りは従うしかなく、代わりの誘導員Nクンを向かわせたとの事だった。
「Nクンが着いたら交替して、その後会社に電話ください」
携帯を切ったのち、疑問が沸々と湧いてきた。
その上、もうキャリアも7年のベテランになっているのに交替させられるなんて…こんな屈辱は初めてだった。
何処の現場に行ってもベテランとして信用されている。そのプライドが無残にも粉砕されてしまった。
暫く仕事を続けてNクンの到着を待ち、交替して車に戻り、会社に電話した。
とりあえずギャラを貰ったり…と会社に用事があったので会社に戻る旨を伝えて車を発進させた。
博多駅前X丁目の会社まで戻る車の中、この非理な仕打ちに立腹し、帰社するまで車内でこの理不尽を追求する言葉を独りごち続けた。
会社に着いても怒りは治まらなかった。
オフィスには管制のSが一人で電話などの応対をしていた。
「あの監督は何なのだ!」
行き場の無い怒りを彼に向けてしまったのは少し大人げ無いことをしたと反省している。
彼から聞いた話では、Xさんは「向こうの角に僕が居るのに気づいていた」のだそうだ。更に、トラックを歩道に入れようとしているのに、向こうの角から動かず、こっちに来ようともしないことを非難していたのだと言う。
こっちは頻繁に来ている現場ではないから、業者が、どんな人がどんな車両で繰るのかなんて分からない。
向こうが先に気付いてくれたなら、僕の場所まで来るか叫ぶかして「こっちですよー!」と一言声を掛けてくれれば良いだけのこと。
待ち合わせ場所が多少ズレていた場合、普通の監督さんならば当然そういう行動をとる。
それ以前に、警備員が現場で既に誘導できる状態になっていないのに大きなダンプを歩道に乗り上げて歩行者や自転車の通行を妨げるなんて行為は許されない。
とりあえず安全な場所にトラックを停めておいて、誘導員がその場に着いてから
「バックでトラックを入れます」と一言あって初め歩道に乗り入れることができる。
…これが物事の順番と言うものだ。
Xさんは今日も僕には何も言わず、一方的に会社に電話してきたのだ。
僕とのそんな行き違いが誘導員を交代させるほどのものであれば、その場で言ってくれればきちんと誤解の無いように説明もするし、以後その点に於いて充分気を付けることもできる。
それを一方的に会社に電話すると言った陰湿極まりない行動が一般社会で許されて良いものだろうか?
おそらく昨日の電話で言っていた
「あの監督さんは別現場だから大丈夫」
との会社側の判断も明らかに誤りだった。
Xさんが今朝僕を見た時点で
「何であの人が来ているの?」
そう思ったであろうことは想像がつく。
それが彼女の私憤を増幅させたであろうことも間違いないだろう。
本当に今朝のこの不条理な出来事は、思い出すのもイヤになるほどだ…
でも、まだまだ書き足りないこともある。…のだが、もう最大文字数3000字まで残りわずかなので、このヘンでとりあえず―「中断」。
もし明日書くことがなければ、思い出し思い出し、愚痴をこぼし続けます。
と宣言しておく。
あームカツク…
立腹どころか心中では「超々激怒」状態だったのだが…。
事の起こり…というより数週間前のことから書いたほうが理解し易いだろう。
とある植樹関係の会社の、歩道上の植え込みを整備して行く作業に伴ない、車道を走行している一般車両にほんの少しだけ右側によってもらうように誘導する。
その日は一日そんな内容の仕事で、現場ではトラブルや危険なことなども一切なく無事に仕事を終え、監督さん(壮年の女性・名前は知らないので「Xさん」とする)や現場の作業員たちに別れを告げて帰宅した。
そして数日後、会社へ行くと、会社の上司から
「あそこの現場で何かありました?」
「いいえ、何も。どーして?」
「Xさんから、僕は今後この現場にやらないでと言ってきたので…」
「…?」
「いえ、ただそう聞いただけで、なにがどうしたとは聞いてないんですけど…」
僕に何か落ち度があったのなら兎に角、何のトラブルも落ち度もなく、だしぬけにそんなことを言われても、まさに寝耳に水だ。
「原因は何も言われなかったんですか?」
「うん、だから何があったのかIさん(僕のこと・本名はイニシャルA・I)に聞こうと思っていたんだけど…」
会社で責任者的存在のKが言うには
「Xさんは人の好き嫌いが激しいみたいやもんね。もしかしたら個人的になんかあるとかも知れんけど…」
個人的な好き嫌いを仕事に持ち込まれるなんて冗談ない。
仮にも現場責任者の位置にある人間。適性を欠いているとしか言いようがない。
そんな訳で、納得できないまま、理不尽にも一方的にその現場(N・Gという取引先)では仕事ができなくなってしまったのだ。
…で昨日、電話で翌日の現場について聞くと、N・Gさんだと言う。
「N・Gさんはあんなことがあったからマズイんじゃ?」
「明日はN・Gさんでも、Xさんは別現場でIさんの所には来ないから大丈夫」
それならと、詳しい場所を聞き了解した。
そして今日、福岡市西区と前原市の市境付近の現場に時間の15分前には到着した。
会社に到着報告をし、ついでに待ち合わせ場所に間違いはないか確認した。間違いなしとのことで待っていたが、時間になっても先方が来ない。
こういう業社は、時間にルーズなところも少なくない。
また遅れるのかな…などと待っていると、5分ほど過ぎて、約100m離れた一本西側の道の辺りに工事車両らしき車が数台停まり、一台のトラックはバックで歩道の中に入った。
そんな動きをトラックがするときは誘導員が誘導しなければ歩行者に危険が及ぶ。
遠くて見えないが、きっと誘導員が居てバック誘導をしているのだろう。ということはこっちの仕事とは無関係な何かの道路工事でも始めるのかな?
「それにしてもこっちの業者さんは遅いなぁ…」
もう15分過ぎようとしていた。
向こうの工事の辺りを暫く見ていたが、誘導員らしき姿は見えない。
もしかしたら、向こうは僕の仕事の業者さんではないのか?
会社にTELして再度場所確認をしようとした。
100m離れた約束の場所とは異なる場所に工事車両らしきものが来ているが違うだろうか?と聞くと、先方からもたった今連絡があり、誘導員が居ないと連絡が入ったと言う。
「じゃあ、場所が間違っていたんですよ!」
携帯を切り、100m離れた現場に向かうと、例のXさんが居るではないか!
「スイマセン、ウチの会社のほうが、待ち合わせ場所間違っていたみたいで向こうの角だと言われていたもので…ちゃんと会社に言っておきますから…」
説明すると、彼女は承諾してくれたようで、それ以上何も言われなかったので、すぐに仕事に取り掛かった。
Xさんは現場の開始に関してあれこれと指示し、自分は中央区のほうに現場があるらしく、30分くらいで市内に向かってトラックを走らせて行った。
現場には3人ほどの男性が残って作業を始め、僕も普通に仕事をしていると、暫くして携帯が鳴った。
Xさんから会社に電話があり、
「誘導員を変えてくれ」と言ってきたのだという。
何かあったのかと聞かれたので、朝の集合場所の行き違いがあったがそれ以外何も咎められたりはしていないと話した。
先方からそう言われた限りは従うしかなく、代わりの誘導員Nクンを向かわせたとの事だった。
「Nクンが着いたら交替して、その後会社に電話ください」
携帯を切ったのち、疑問が沸々と湧いてきた。
その上、もうキャリアも7年のベテランになっているのに交替させられるなんて…こんな屈辱は初めてだった。
何処の現場に行ってもベテランとして信用されている。そのプライドが無残にも粉砕されてしまった。
暫く仕事を続けてNクンの到着を待ち、交替して車に戻り、会社に電話した。
とりあえずギャラを貰ったり…と会社に用事があったので会社に戻る旨を伝えて車を発進させた。
博多駅前X丁目の会社まで戻る車の中、この非理な仕打ちに立腹し、帰社するまで車内でこの理不尽を追求する言葉を独りごち続けた。
会社に着いても怒りは治まらなかった。
オフィスには管制のSが一人で電話などの応対をしていた。
「あの監督は何なのだ!」
行き場の無い怒りを彼に向けてしまったのは少し大人げ無いことをしたと反省している。
彼から聞いた話では、Xさんは「向こうの角に僕が居るのに気づいていた」のだそうだ。更に、トラックを歩道に入れようとしているのに、向こうの角から動かず、こっちに来ようともしないことを非難していたのだと言う。
こっちは頻繁に来ている現場ではないから、業者が、どんな人がどんな車両で繰るのかなんて分からない。
向こうが先に気付いてくれたなら、僕の場所まで来るか叫ぶかして「こっちですよー!」と一言声を掛けてくれれば良いだけのこと。
待ち合わせ場所が多少ズレていた場合、普通の監督さんならば当然そういう行動をとる。
それ以前に、警備員が現場で既に誘導できる状態になっていないのに大きなダンプを歩道に乗り上げて歩行者や自転車の通行を妨げるなんて行為は許されない。
とりあえず安全な場所にトラックを停めておいて、誘導員がその場に着いてから
「バックでトラックを入れます」と一言あって初め歩道に乗り入れることができる。
…これが物事の順番と言うものだ。
Xさんは今日も僕には何も言わず、一方的に会社に電話してきたのだ。
僕とのそんな行き違いが誘導員を交代させるほどのものであれば、その場で言ってくれればきちんと誤解の無いように説明もするし、以後その点に於いて充分気を付けることもできる。
それを一方的に会社に電話すると言った陰湿極まりない行動が一般社会で許されて良いものだろうか?
おそらく昨日の電話で言っていた
「あの監督さんは別現場だから大丈夫」
との会社側の判断も明らかに誤りだった。
Xさんが今朝僕を見た時点で
「何であの人が来ているの?」
そう思ったであろうことは想像がつく。
それが彼女の私憤を増幅させたであろうことも間違いないだろう。
本当に今朝のこの不条理な出来事は、思い出すのもイヤになるほどだ…
でも、まだまだ書き足りないこともある。…のだが、もう最大文字数3000字まで残りわずかなので、このヘンでとりあえず―「中断」。
もし明日書くことがなければ、思い出し思い出し、愚痴をこぼし続けます。
と宣言しておく。
あームカツク…
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博多っ子のテレビっ子純情
2003年7月3日 「仕事なしかよっ!」
思わず会社にTELしてそう叫んでやろうかと思った。
ウチの会社は毎日、夜7時頃には翌日の現場を決定するので、その頃会社に電話して翌日の予定を聞く。
昨夜7時頃電話すると
「すいません。まだ決まっていないんです。どうも明日は仕事が少ないようで…」
それでも、仕事しないことには生活が成り立たない。なんとかお願いしますよ〜。泣き付くと、
「仕事が入ったら電話します」
「仕事入りますかぁ〜?」
「それはまだ何とも…」
なんとも頼り無げな答えだが、
「じゃあ、なるべくお願いしときますよぉ…ホント―にっ!」
…で結局、仕事は入らなかったようだ。
まぁ、梅雨時は例年こういう傾向はある。
道路のライン引き、舗装、測量など…雨が降るとできない種類の作業もけっこうあるからだ。
朝になっても全く会社からの連絡は無く、電話を待ちながら結局10時半頃まで寝ていた。
午後、ちょっと買い物やコンビ二などに出かけた以外はずーっとボーっと過ごした一日だった。
夜7時からは、『クイズ・ミリオネア』を見ながら、こいつら本当にこんなに簡単な問題に悩むようで、良く「1000万円狙います!」なんて言ってるよなぁ…なんて思いながらも、毎回見てしまう。
8時からは『不思議体験!アンビリバボー!』だが、事件ネタのときは正直、あまり面白くない。
やはり心霊現象やUFO、超常現象、せめて古代文明や世界の七不思議などをテーマにした時のほうが面白い。…と言いながらも大抵全部見てしまう。
9時からは毎週、日テレ系『どっちの料理ショー』なのだが、前の番組がまだやっていた。
『クイズ!常識の時間』だって。そんな番組やってたっけ?
あんまり記憶にないんだけど、先週までこの時間枠は3週間くらいずっとナイター中継やってたっしょ?
ジャイアンツ戦なんて当然見る気しないから、この時間帯の番組については全く分からなかった。
今日はアニメがテーマだったようで、まぁ、なかなか楽しめた。
…んで、9時半くらいから、ようやく『どっちの料理ショー』だった。
冷麺vs担々麺ってか?
ボクの好みではやっぱ担々麺かなぁ…だって、冷麺ってどーも、アノ糸コンニャクみたいな麺が好きになれないんですよねー。
やっぱり麺は小麦粉麺っぽいヤツでないと…だから冷し中華は好きだけど、冷麺はあんまり好きではない。
当然担々麺のほうを応援していたのだが、負けちゃったじゃないかよっ!
三宅さん、先週も負けてたけど、なんであんな関口厨房なんかに負けちゃうかなぁ…。
…んで、PCやなんかしてて、深夜番組『ノブナガ』を見る。
先々週くらいも書いたが、この番組の「地名しりとり」がかなり面白い。
いっそこのまま、ずっとゴールできずに延々続けて欲しいくらいだ。
僕は幼い頃からTVが大好きで根っからの「テレビっ子」だ。
家に居る時間はずっとTVが点いている。
大学時代、マスコミ論を受講して以来テレビ業界への興味が増して4年生の頃からテレビ番組制作会社に入り、ADのアルバイトをしたのもテレビっ子が高じたのだろう。
大学を卒業してそのまま制作会社に入社し、契約社員として様々な番組のADや制作進行、企画などを経験し、放送作家なども多少やったりした。 「いつかは自分の企画原案のTV番組を作ってみたい」というのが夢だった。
実は未だにその夢が捨てきれないでいる。
地元福岡の放送局で放送作家の仕事ができないだろうかと考えることもある。
直接企画を持ち込んでみようか…な〜んて、もうムリかなぁ…?
思わず会社にTELしてそう叫んでやろうかと思った。
ウチの会社は毎日、夜7時頃には翌日の現場を決定するので、その頃会社に電話して翌日の予定を聞く。
昨夜7時頃電話すると
「すいません。まだ決まっていないんです。どうも明日は仕事が少ないようで…」
それでも、仕事しないことには生活が成り立たない。なんとかお願いしますよ〜。泣き付くと、
「仕事が入ったら電話します」
「仕事入りますかぁ〜?」
「それはまだ何とも…」
なんとも頼り無げな答えだが、
「じゃあ、なるべくお願いしときますよぉ…ホント―にっ!」
…で結局、仕事は入らなかったようだ。
まぁ、梅雨時は例年こういう傾向はある。
道路のライン引き、舗装、測量など…雨が降るとできない種類の作業もけっこうあるからだ。
朝になっても全く会社からの連絡は無く、電話を待ちながら結局10時半頃まで寝ていた。
午後、ちょっと買い物やコンビ二などに出かけた以外はずーっとボーっと過ごした一日だった。
夜7時からは、『クイズ・ミリオネア』を見ながら、こいつら本当にこんなに簡単な問題に悩むようで、良く「1000万円狙います!」なんて言ってるよなぁ…なんて思いながらも、毎回見てしまう。
8時からは『不思議体験!アンビリバボー!』だが、事件ネタのときは正直、あまり面白くない。
やはり心霊現象やUFO、超常現象、せめて古代文明や世界の七不思議などをテーマにした時のほうが面白い。…と言いながらも大抵全部見てしまう。
9時からは毎週、日テレ系『どっちの料理ショー』なのだが、前の番組がまだやっていた。
『クイズ!常識の時間』だって。そんな番組やってたっけ?
あんまり記憶にないんだけど、先週までこの時間枠は3週間くらいずっとナイター中継やってたっしょ?
ジャイアンツ戦なんて当然見る気しないから、この時間帯の番組については全く分からなかった。
今日はアニメがテーマだったようで、まぁ、なかなか楽しめた。
…んで、9時半くらいから、ようやく『どっちの料理ショー』だった。
冷麺vs担々麺ってか?
ボクの好みではやっぱ担々麺かなぁ…だって、冷麺ってどーも、アノ糸コンニャクみたいな麺が好きになれないんですよねー。
やっぱり麺は小麦粉麺っぽいヤツでないと…だから冷し中華は好きだけど、冷麺はあんまり好きではない。
当然担々麺のほうを応援していたのだが、負けちゃったじゃないかよっ!
三宅さん、先週も負けてたけど、なんであんな関口厨房なんかに負けちゃうかなぁ…。
…んで、PCやなんかしてて、深夜番組『ノブナガ』を見る。
先々週くらいも書いたが、この番組の「地名しりとり」がかなり面白い。
いっそこのまま、ずっとゴールできずに延々続けて欲しいくらいだ。
僕は幼い頃からTVが大好きで根っからの「テレビっ子」だ。
家に居る時間はずっとTVが点いている。
大学時代、マスコミ論を受講して以来テレビ業界への興味が増して4年生の頃からテレビ番組制作会社に入り、ADのアルバイトをしたのもテレビっ子が高じたのだろう。
大学を卒業してそのまま制作会社に入社し、契約社員として様々な番組のADや制作進行、企画などを経験し、放送作家なども多少やったりした。 「いつかは自分の企画原案のTV番組を作ってみたい」というのが夢だった。
実は未だにその夢が捨てきれないでいる。
地元福岡の放送局で放送作家の仕事ができないだろうかと考えることもある。
直接企画を持ち込んでみようか…な〜んて、もうムリかなぁ…?
ドライブ好きの血が騒ぐぜいっ!
2003年7月2日 今日の仕事は福岡県岡垣町の鐘崎漁港の近く。
福岡市よりも、北九州市からのほうが近い場所だ。
福岡市早良区のアパートからは、片道約50km。
車を所有しているので比較的遠い現場へ行かされることが多い。
生来運転が好きで、ドライブが趣味なので、遠方へ行くのは大好きなのだ。この仕事では福岡県内はもう殆どの場所に行っている。…と思うし、県外までも何度か行っている。
今年に入ってからも、久留米、筑後、甘木、原鶴温泉、北九州市、鞍手町などの現場に行っている。
隊員によっては遠方の現場を敬遠する者もいるようだが、ドライブ好きな僕は喜んで引き受ける。
ただ、現場までの往復に時間を割かれるので、終業後に用事があるときだけはちょっと遠慮したい。
ウチの会社はマイカーで遠方の現場に行くとき、福岡周辺エリアより外であれば、ガソリン代が全額支給される。
同乗者がいるときには、福岡周辺エリアでもガソリン代支給のうえ、同乗者手当てが付く。
ただし、高速道路を利用するような場所に行く場合は、高速料金が片道分しか出ない。
終業後はなるべく早く帰りたいので、朝早起きしてでも往路は高速を使わずに行って復路に高速を利用する。
僕は履歴書などで「趣味」欄があると、いつもその中に「ドライブ」を入れる。
九州でドライブに行ったことのない県は、陸続きでない沖縄だけである。
福岡からのドライブでは東は岡山県まで経験している。
岡山県の大原町の宮本武蔵記念館が最東地である。
日本海側では島根県松江市まで行っている。
松江市では松江城と小泉八雲旧宅に行った。更に北隣の島根町の日本海側にある侵食洞窟「加賀の潜戸」にグラスボートで行ったのはもう10年以上前のことだ。
九州のほうは鹿児島県、薩摩半島側は坊津、大隈半島は都井岬が最南端である。
それより南に行った経験もあるのだが、自ら運転していないので自分のドライブ経験には含まずにおこうと思う。
鹿児島は母の郷里が川辺郡大浦町なので、そこへは何度か行っているのだが、回数としては霧島のほうがドライブの経験が多い。
もちろん温泉が目的だ。
温泉を目的としてドライブに行くことも多い。
好きな温泉が多いからだろうか、行く先を決めずにドライブに出かけると、なぜか大分県方面を目指してしまう。
そして日田や玖珠、九重辺りで高速を下りてやまなみハイウェイ方面に向かう。
気が付くと、1年に3、4回はやまなみハイウェイの要所・瀬の本高原の三愛レストハウスに立ち寄っていたりする。
瀬の本高原の付近には好きな場所がある。
数キロ南下して左へ下りて行くと池山水源がある。
九重連山からの伏流水が輪出しているこの水源地はいつの間にか口コミで広まって、最近では観光客も多くなった。
ここの水は本当に美味しくて、以前はよく水を汲みに行ったものである。
また、レストハウスから西に3〜4キロの地点から、右側の谷になっているような場所に下りていくと、GWの5月5日頃は蕨が採り頃である。
大きな紙袋を持っていくと、小一時間ほどで袋いっぱいの蕨が採れる。僕や家族、友人くらいしか知らない蕨採りの穴場スポットなのだ。
ここから更に西に進むと、露天風呂ブ―ムの火付け役となった黒川温泉もあるのだが、あまりに有名になり絶えず観光客が訪れるようになってしまっている。そのため僕も、黒川温泉にはあまり魅力を感じていないので、未だここの温泉には入ったことがない。
ここの温泉は確かに色々充実してはいるようだが、僕は温泉に行くなら、瀬の本高原から北に向かったほうが筋湯温泉郷や長者原温泉郷などがあり、野趣あふれる温泉も多い。
また、マイカーを買う以前、レンタカーを借りて一人で行った、初めての大分ドライブの際に偶然知った温泉に七里田温泉という規模の小さな温泉地がある。
竹田市の岡城址を観光して国道442号線を西に向かいながら、当日の宿泊をどうしようかと思い、電話ボックスに入って久住町の役場の観光課に電話して「安めの民宿を」と幾つか紹介して貰った中に、七里田温泉の民宿「みやま」があった。
古びた小さな民宿だが、初めて入ったとき、玄関の辺りにマラソンランナーの、会社名がプリントされたランニングシャツが多数ぶら下がっていて、何かと思った。
尋ねると、マラソンの強化合宿のランナーが毎年多数宿泊しているのだという。良い結果を出せたランナーがお礼にとシャツを置いていったのが増えて、そこに吊り下げているということだった。
この民宿はトイレもまだ水洗化されていないし、部屋も普通の民家と大差ないが、ちょっと温めの温泉の泉質は良いし、なんと言っても一人、一泊二食付きで5000円という破格の宿泊費にもかかわらず、夕食は豊後牛が食べ放題、ご飯もお代わりし放題なのだ。
偶然入ってこんな民宿を知ったのは本当にラッキーだった。
以後この民宿に2度、どちらも友人を一人連れて行ったが、二人とも豊後牛の美味さをいたく気に入ってくれた。
この温泉地には平成10年に温泉施設「木乃葉の湯」ができて、以後、徐々に観光客を増やしているようだ。
この七里田温泉から西に5kmほど行くと、日本一の炭酸含有量を誇る「長湯温泉」がある。
この温泉も泉質はかなり良く、「外郎売り」ではないが、まさに「万病速効あること神の如し」である。
長期継続して入浴治療すれば糖尿病や肝炎など、多くの内科的疾患にも大変有効なのだそうである。
お湯に含まれる鉄分量が多くて茶色っぽい色がついているので白いタオルを持って入ると黄色く変色してしまう。
紅葉館という老舗旅館の真横、芹川には川の流れの間近に「ガニ湯」という岩をくりぬいたような岩風呂がポツンとある。
横を通る道路の反対側に降り口となる階段があり、道路の下を通って露天風呂に行くのだが、道路の真下辺りに説明書きがあり、「花王「バブ」の7倍の炭酸含有量」と書かれていたのは笑っちゃいました。
僕は友人と二人、まっ昼間からこの「ガニ湯」に入ったのだが、道路かや紅葉館などから丸見えなので、ちょっと恥ずかしいのを我慢たのを今でも覚えている。
もし、ここに入浴したければ、女性は夜にしたほうが良いかと思われます。
温泉については一家言あり、語りはじめると長くなるのでこのくらいにしておこう。
とにかく、ドライブは本当に楽しいです。
ハワイだの香港だのと海外旅行にばかり目を向ける浅ましい日本人よ!
もっとわが国日本を見直そう!
自国を知らずして他国を語るなかれ!
…な〜んちゃって!
福岡市よりも、北九州市からのほうが近い場所だ。
福岡市早良区のアパートからは、片道約50km。
車を所有しているので比較的遠い現場へ行かされることが多い。
生来運転が好きで、ドライブが趣味なので、遠方へ行くのは大好きなのだ。この仕事では福岡県内はもう殆どの場所に行っている。…と思うし、県外までも何度か行っている。
今年に入ってからも、久留米、筑後、甘木、原鶴温泉、北九州市、鞍手町などの現場に行っている。
隊員によっては遠方の現場を敬遠する者もいるようだが、ドライブ好きな僕は喜んで引き受ける。
ただ、現場までの往復に時間を割かれるので、終業後に用事があるときだけはちょっと遠慮したい。
ウチの会社はマイカーで遠方の現場に行くとき、福岡周辺エリアより外であれば、ガソリン代が全額支給される。
同乗者がいるときには、福岡周辺エリアでもガソリン代支給のうえ、同乗者手当てが付く。
ただし、高速道路を利用するような場所に行く場合は、高速料金が片道分しか出ない。
終業後はなるべく早く帰りたいので、朝早起きしてでも往路は高速を使わずに行って復路に高速を利用する。
僕は履歴書などで「趣味」欄があると、いつもその中に「ドライブ」を入れる。
九州でドライブに行ったことのない県は、陸続きでない沖縄だけである。
福岡からのドライブでは東は岡山県まで経験している。
岡山県の大原町の宮本武蔵記念館が最東地である。
日本海側では島根県松江市まで行っている。
松江市では松江城と小泉八雲旧宅に行った。更に北隣の島根町の日本海側にある侵食洞窟「加賀の潜戸」にグラスボートで行ったのはもう10年以上前のことだ。
九州のほうは鹿児島県、薩摩半島側は坊津、大隈半島は都井岬が最南端である。
それより南に行った経験もあるのだが、自ら運転していないので自分のドライブ経験には含まずにおこうと思う。
鹿児島は母の郷里が川辺郡大浦町なので、そこへは何度か行っているのだが、回数としては霧島のほうがドライブの経験が多い。
もちろん温泉が目的だ。
温泉を目的としてドライブに行くことも多い。
好きな温泉が多いからだろうか、行く先を決めずにドライブに出かけると、なぜか大分県方面を目指してしまう。
そして日田や玖珠、九重辺りで高速を下りてやまなみハイウェイ方面に向かう。
気が付くと、1年に3、4回はやまなみハイウェイの要所・瀬の本高原の三愛レストハウスに立ち寄っていたりする。
瀬の本高原の付近には好きな場所がある。
数キロ南下して左へ下りて行くと池山水源がある。
九重連山からの伏流水が輪出しているこの水源地はいつの間にか口コミで広まって、最近では観光客も多くなった。
ここの水は本当に美味しくて、以前はよく水を汲みに行ったものである。
また、レストハウスから西に3〜4キロの地点から、右側の谷になっているような場所に下りていくと、GWの5月5日頃は蕨が採り頃である。
大きな紙袋を持っていくと、小一時間ほどで袋いっぱいの蕨が採れる。僕や家族、友人くらいしか知らない蕨採りの穴場スポットなのだ。
ここから更に西に進むと、露天風呂ブ―ムの火付け役となった黒川温泉もあるのだが、あまりに有名になり絶えず観光客が訪れるようになってしまっている。そのため僕も、黒川温泉にはあまり魅力を感じていないので、未だここの温泉には入ったことがない。
ここの温泉は確かに色々充実してはいるようだが、僕は温泉に行くなら、瀬の本高原から北に向かったほうが筋湯温泉郷や長者原温泉郷などがあり、野趣あふれる温泉も多い。
また、マイカーを買う以前、レンタカーを借りて一人で行った、初めての大分ドライブの際に偶然知った温泉に七里田温泉という規模の小さな温泉地がある。
竹田市の岡城址を観光して国道442号線を西に向かいながら、当日の宿泊をどうしようかと思い、電話ボックスに入って久住町の役場の観光課に電話して「安めの民宿を」と幾つか紹介して貰った中に、七里田温泉の民宿「みやま」があった。
古びた小さな民宿だが、初めて入ったとき、玄関の辺りにマラソンランナーの、会社名がプリントされたランニングシャツが多数ぶら下がっていて、何かと思った。
尋ねると、マラソンの強化合宿のランナーが毎年多数宿泊しているのだという。良い結果を出せたランナーがお礼にとシャツを置いていったのが増えて、そこに吊り下げているということだった。
この民宿はトイレもまだ水洗化されていないし、部屋も普通の民家と大差ないが、ちょっと温めの温泉の泉質は良いし、なんと言っても一人、一泊二食付きで5000円という破格の宿泊費にもかかわらず、夕食は豊後牛が食べ放題、ご飯もお代わりし放題なのだ。
偶然入ってこんな民宿を知ったのは本当にラッキーだった。
以後この民宿に2度、どちらも友人を一人連れて行ったが、二人とも豊後牛の美味さをいたく気に入ってくれた。
この温泉地には平成10年に温泉施設「木乃葉の湯」ができて、以後、徐々に観光客を増やしているようだ。
この七里田温泉から西に5kmほど行くと、日本一の炭酸含有量を誇る「長湯温泉」がある。
この温泉も泉質はかなり良く、「外郎売り」ではないが、まさに「万病速効あること神の如し」である。
長期継続して入浴治療すれば糖尿病や肝炎など、多くの内科的疾患にも大変有効なのだそうである。
お湯に含まれる鉄分量が多くて茶色っぽい色がついているので白いタオルを持って入ると黄色く変色してしまう。
紅葉館という老舗旅館の真横、芹川には川の流れの間近に「ガニ湯」という岩をくりぬいたような岩風呂がポツンとある。
横を通る道路の反対側に降り口となる階段があり、道路の下を通って露天風呂に行くのだが、道路の真下辺りに説明書きがあり、「花王「バブ」の7倍の炭酸含有量」と書かれていたのは笑っちゃいました。
僕は友人と二人、まっ昼間からこの「ガニ湯」に入ったのだが、道路かや紅葉館などから丸見えなので、ちょっと恥ずかしいのを我慢たのを今でも覚えている。
もし、ここに入浴したければ、女性は夜にしたほうが良いかと思われます。
温泉については一家言あり、語りはじめると長くなるのでこのくらいにしておこう。
とにかく、ドライブは本当に楽しいです。
ハワイだの香港だのと海外旅行にばかり目を向ける浅ましい日本人よ!
もっとわが国日本を見直そう!
自国を知らずして他国を語るなかれ!
…な〜んちゃって!
仕事中の退屈しのぎ。
2003年7月1日 警備員なんてやってると、ときどき、
「一日中ずーっと突っ立って…退屈でしょう?」
と言われることがある。
たぶん端から見るとそう見えるのだろう。
実は…そーなんです!退屈なんです。
殊に今日のような人通りの少ない歩行者通路で歩行者誘導なんてやってると…本当に、意識が宇宙空間をワープしてガミラス星雲イスカンダルのスターシアの王宮まですっ飛んでいってしまいそうなほど退屈だ。
今日の現場は歩行者通路とは言っても、朝8時から 夕方5時までせいぜい30人くらいしか通らないような場所だった。
しかも今年に入って最激な勢いのどしゃぶり…これこそ、本当に猫と犬が雨と一緒に落ちてくるのではないかと思うほどの、原尻の滝(大分県緒方町)のようなどしゃぶりだった。
…でも殆ど濡れることはありませんでした。
何を隠そう、今日僕が居た場所は真上に雨をしのげる巨大な物体があったのだった。
現在、福岡では都市高速道路の新線の延長計画があり、博多区月隈付近から西に伸びているのだが、諸岡〜井尻〜的場〜野多目〜屋形原〜桧原〜片江〜七隈〜野芥〜外環状線へと繋がる計画があり、着々と工事が進んでいる。
そうなんです。今日、僕の頭上には、現在建築中の十数メートル幅の都市高速道路があったので、殆ど雨に濡れることはありませんでした。
当然都市高速道路の周囲は高いフェンスによって工事地域が規定されていて一般の交通は遮断されている。
しかし、脇道もあるのに約200メートルにも渡って通行止めにするわけにはいかない。従って、工事区間のちょうど中ほどに、歩行者通路が設けられている。
工事区間内は大型の工事車両が頻繁に行き来するので、歩行者が通行する際に歩行者の安全に配慮せねばならず、その為の歩行者誘導である。
…でも、本当に退屈だ。
著しく退屈な現場では、退屈な時間を埋めるために様々なことをして紛らわす。いつもよくやっているのが、イヤホンでラジオを聞くこと。
番組によって時計を見なくても現在時間がある程度予測できて便利だったりするし、番組によっては聴取者からの意見を募集したりするのにケータイのメールを利用して投稿したりもする。
また、いつも胸ポケットに手帳とペンを入れているので作詞したりすることもある。
何もないときはひたすら歌っていたりもする。
アニメソングオンパレード、TVテーマ曲オンパレードは比較的よく歌う。
あと、歌手ごとにチャゲ&飛鳥メドレー、松山千春メドレー、安全地帯メドレー、シャ乱Qメドレー、サザンメドレー、スピッツメドレー、などなど様々な曲を絶え間なく歌ったりもする。
また、『外郎売り』を暗証したもする。
『外郎売り』は歌舞伎の17代目市川団十郎の得意演目で、その中で外郎を売るための口上がある。
この口上は途中に多くの早口言葉が織り込まれているので、演劇やアナウンサーなど話し方、発声の
特訓のための課題としてよく利用されている。
以前、地元の劇団で芝居をしていたことがあり、そのときに活舌の練習として暗証できるようにとプリントを渡され、団員みんな一生懸命に覚えたものだった。僕も仕事や通常の稽古などの合間に覚えたので完全に暗記するまで約2ヶ月ほど要した。
お陰で、現在でも全く忘れてはおらず、
拙者、親方と申すは、お立会いのうちにご存知の方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて青物町を上りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤衛門、只今は剃髪致して円斉と名乗りまする。
元朝より大晦日まで、お手に入れますこの薬は、昔、珍の国の唐人、外郎という人わが朝に来たり。帝へ参内の折からこの薬を深く込め置き、用ゆるときは一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。よってその名を帝より、とうちんこうと賜る。すなわち文字には、頂き、透く、香(にお)いと書いて、とうんこうと申す。只今はこの薬、殊の外世情に広まり、方々に偽看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の炭俵のと、色々に申せども、ひらがなを以って「ういろう」と記せしは親方円斉ばかり。……
と続いて行くのだが、この暗唱の方法は二通りある。
ただ、すらすらと立て板に水という感じで、一定のリズムで早口で言っていく方法と、あくまでも歌舞伎の口上として、自ら外郎を売るかのように、感情を込め、間合いなども考えながら言う方法である。前者は約3分30秒、後者はほぼ5分間で最後まで暗唱し終わる。
だから後者の方法で暗唱すれば、6回繰り返せば30分、12回で1時間である。まぁさすがにそこまで繰り返すことはないが…。
この『外郎売り』の早口言葉の中で今でも苦手なのが、「京の生鱈、奈良生まな鰹」と「お茶立ちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちゃ、茶立ちょ青竹茶せんでお茶ちゃっと立ちゃ」である。未だに時々カんでしまうことがある。
演劇経験については、またいつか触れるとして、今回は『外郎売り』についてのみ話題とする。
…んで、仕事中、よくこれを口に出してボソボソ声を発しているのたが、時々、作業員などが通りかかったとき、「ナンだコイツ?何言ってるんだろう?」といったふうに怪訝そうな視線を向けられることがある。
よく他人から、「変わっている」と言われることがあるが、
やっぱり、僕ってヘンでしょーか?
「一日中ずーっと突っ立って…退屈でしょう?」
と言われることがある。
たぶん端から見るとそう見えるのだろう。
実は…そーなんです!退屈なんです。
殊に今日のような人通りの少ない歩行者通路で歩行者誘導なんてやってると…本当に、意識が宇宙空間をワープしてガミラス星雲イスカンダルのスターシアの王宮まですっ飛んでいってしまいそうなほど退屈だ。
今日の現場は歩行者通路とは言っても、朝8時から 夕方5時までせいぜい30人くらいしか通らないような場所だった。
しかも今年に入って最激な勢いのどしゃぶり…これこそ、本当に猫と犬が雨と一緒に落ちてくるのではないかと思うほどの、原尻の滝(大分県緒方町)のようなどしゃぶりだった。
…でも殆ど濡れることはありませんでした。
何を隠そう、今日僕が居た場所は真上に雨をしのげる巨大な物体があったのだった。
現在、福岡では都市高速道路の新線の延長計画があり、博多区月隈付近から西に伸びているのだが、諸岡〜井尻〜的場〜野多目〜屋形原〜桧原〜片江〜七隈〜野芥〜外環状線へと繋がる計画があり、着々と工事が進んでいる。
そうなんです。今日、僕の頭上には、現在建築中の十数メートル幅の都市高速道路があったので、殆ど雨に濡れることはありませんでした。
当然都市高速道路の周囲は高いフェンスによって工事地域が規定されていて一般の交通は遮断されている。
しかし、脇道もあるのに約200メートルにも渡って通行止めにするわけにはいかない。従って、工事区間のちょうど中ほどに、歩行者通路が設けられている。
工事区間内は大型の工事車両が頻繁に行き来するので、歩行者が通行する際に歩行者の安全に配慮せねばならず、その為の歩行者誘導である。
…でも、本当に退屈だ。
著しく退屈な現場では、退屈な時間を埋めるために様々なことをして紛らわす。いつもよくやっているのが、イヤホンでラジオを聞くこと。
番組によって時計を見なくても現在時間がある程度予測できて便利だったりするし、番組によっては聴取者からの意見を募集したりするのにケータイのメールを利用して投稿したりもする。
また、いつも胸ポケットに手帳とペンを入れているので作詞したりすることもある。
何もないときはひたすら歌っていたりもする。
アニメソングオンパレード、TVテーマ曲オンパレードは比較的よく歌う。
あと、歌手ごとにチャゲ&飛鳥メドレー、松山千春メドレー、安全地帯メドレー、シャ乱Qメドレー、サザンメドレー、スピッツメドレー、などなど様々な曲を絶え間なく歌ったりもする。
また、『外郎売り』を暗証したもする。
『外郎売り』は歌舞伎の17代目市川団十郎の得意演目で、その中で外郎を売るための口上がある。
この口上は途中に多くの早口言葉が織り込まれているので、演劇やアナウンサーなど話し方、発声の
特訓のための課題としてよく利用されている。
以前、地元の劇団で芝居をしていたことがあり、そのときに活舌の練習として暗証できるようにとプリントを渡され、団員みんな一生懸命に覚えたものだった。僕も仕事や通常の稽古などの合間に覚えたので完全に暗記するまで約2ヶ月ほど要した。
お陰で、現在でも全く忘れてはおらず、
拙者、親方と申すは、お立会いのうちにご存知の方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方、相州小田原一色町をお過ぎなされて青物町を上りへお出でなさるれば、欄干橋虎屋藤衛門、只今は剃髪致して円斉と名乗りまする。
元朝より大晦日まで、お手に入れますこの薬は、昔、珍の国の唐人、外郎という人わが朝に来たり。帝へ参内の折からこの薬を深く込め置き、用ゆるときは一粒ずつ冠の隙間より取り出だす。よってその名を帝より、とうちんこうと賜る。すなわち文字には、頂き、透く、香(にお)いと書いて、とうんこうと申す。只今はこの薬、殊の外世情に広まり、方々に偽看板を出だし、イヤ小田原の、灰俵の、さん俵の炭俵のと、色々に申せども、ひらがなを以って「ういろう」と記せしは親方円斉ばかり。……
と続いて行くのだが、この暗唱の方法は二通りある。
ただ、すらすらと立て板に水という感じで、一定のリズムで早口で言っていく方法と、あくまでも歌舞伎の口上として、自ら外郎を売るかのように、感情を込め、間合いなども考えながら言う方法である。前者は約3分30秒、後者はほぼ5分間で最後まで暗唱し終わる。
だから後者の方法で暗唱すれば、6回繰り返せば30分、12回で1時間である。まぁさすがにそこまで繰り返すことはないが…。
この『外郎売り』の早口言葉の中で今でも苦手なのが、「京の生鱈、奈良生まな鰹」と「お茶立ちょ茶立ちょ、ちゃっと立ちゃ、茶立ちょ青竹茶せんでお茶ちゃっと立ちゃ」である。未だに時々カんでしまうことがある。
演劇経験については、またいつか触れるとして、今回は『外郎売り』についてのみ話題とする。
…んで、仕事中、よくこれを口に出してボソボソ声を発しているのたが、時々、作業員などが通りかかったとき、「ナンだコイツ?何言ってるんだろう?」といったふうに怪訝そうな視線を向けられることがある。
よく他人から、「変わっている」と言われることがあるが、
やっぱり、僕ってヘンでしょーか?
オリジナル・カレーなのだっ!
2003年6月30日 今日は、病院に行かなければならなかった(以前から、大した病気ではないのだが、ちょっと持病のようなものがあって、定期的に薬だけ貰いに行ってまして…)ので、仕事はお休み。
通院のために休んだのに、母親が、
「休みやったらちょっと仕事手伝ってよ」
と言うので、中洲まで出かけた。
母はもう70になる高齢だが、博多の歓楽街・中洲で朝から昼頃まで掃除の仕事をしている。
母が担当している店の中には中洲でも有名な「D」というクラブ(この店の場合、「サパークラブ」と言うらしい)が含まれている。このクラブは画家兼ピアニストで有名な、某有名小説家の孫娘(だったと思う)のF・Hがいつもライブをしたり、彼女の福岡公演を主宰したりもしており、彼女の策による絵画なども多数飾られている。ライブだけでなくダンスパーティなども出来るところで一度に2〜300人ほどを収容できる広さがある。
その広さのあまり、母が一人で掃除をすると、優にに1時間半はかかる。
それを、僕が休みなどのときはときたま手伝っているのだ。
と言っても、広い客席と入口までの通路、トイレ前の通路や厨房へ続く通路など、全面にカーペットが敷かれている上に掃除機をかける程度である。
これだけの広さを掃除機(家庭用)かけると、男の僕でも、30〜45分くらいはかかってしまうし、うっすらと汗までかいてしまう。
だが、その間に母は2階事務所、控え室、トイレなどの清掃をやってしまえるので、仕事の時間が半分になるといつも感謝してくれる。
手伝いを終え、母と別れて会社に寄った。出ていた分のギャラを貰い、アパートの近所にあるK医院へ行き、いつもの薬を貰い、その後、夕食の買い物をしにスーパーへ行った。
買い物をし始めてまもなく、ふと思いついた。「今日は久々にカレーにしよう!」
と言っても、もう1時過ぎだった。ちょっと面倒なので夕方から調理し始めても充分に間に合う『オリジナルカレー簡易版』にしようと、食材を買い始めた。
昔からカレーだけはかなりコダワって作る。
学生時代からボクがカレーを作ったと聞くと、いつもの仲間が食べにきて、味だけは自信があった。
今でも本格的に作るときはずん胴鍋に1週間分くらい大量に作り、日曜日なとに夜のために午前中から作り始める。
だが、そんなに時間を取れないときのために『簡易版』を考案したのだ。
簡易版というのは、辛口系のレトルトカレーを、各社バラバラに3種類ほど用意してミックスしたものをベースにする。
ちなみにレシピは…。
○牛スジ肉を一口サイズに切って、赤ワイン、パイナップルジュース、醤油、水をあわせた鍋の中で煮込む。水分が4分の1くらいになり、肉が柔らかくなったら、鶏ミンチ、牛豚合挽きミンチを入れて、赤ワインを少し加え、炒める。
○野菜(今日のは玉葱、赤と黄のパプリカ、茄子、マッシュルーム(スライス缶詰))
のマッシュルーム以外を全て食べ易いサイズに切る。
○玉葱の微塵切りをオリーブオイルで炒める。
充分飴色になったら、パプリカを加えて炒め、さらに茄子、スライスマッシュルームも投入、途中、塩コショウと適量のカレーパウダー(ウチではシェアウッドを使用)を混ぜながら、全体的になじませる。
○野菜が出来上がったら肉のほうの鍋の中身を投入、よくかき混ぜながら、ミートソース(缶詰で可)、トマトベースの野菜ジュース、100%ニンジンジュース、100%アップルジュース、ヨーグルト、缶コーヒー(ショート缶2分の1)を投入、混ぜ合わさったらレトルト3品を投入。カレーの味が足りない分はカレーパウダーで調整。
○辛味や微妙な味は、唐辛子(七味&輪切り)、カイエンヌペッパー、ブラックペッパー、オールスパイス、ウスターソースで調整。
○あとは煮込み。半分にちぎったローリエを2、3枚。適量のヨーグルト、赤ワインを加えてしばらく煮込めば出来上がり。
本来の『元祖・オリジナルカレー』はもっと色々手間も材料もかかるのですが、『簡易版』はこの程度です。
けっこう美味しく出来上がりましたよぉ〜。ひき肉を多く使っているので市販のナンを買ってきてナンで食べてもいいし、普通の白ご飯でももちろんGood!
サフランライスもどき(サフランは高いので)のターメリック・ライスでもかなりイケます。
ターメリックライスは、バター、塩、ターメリックを適量混ぜて普通に炊飯するだけですので簡単ですし、バターを入れているので炊飯器の内釜にご飯がこびりつかず、後で洗うときも台所洗剤で1往復するだけでOK!
これで数日は食費がかからない。
ちなみに僕の場合、朝・昼・晩、カレーで1週間は平気!
通院のために休んだのに、母親が、
「休みやったらちょっと仕事手伝ってよ」
と言うので、中洲まで出かけた。
母はもう70になる高齢だが、博多の歓楽街・中洲で朝から昼頃まで掃除の仕事をしている。
母が担当している店の中には中洲でも有名な「D」というクラブ(この店の場合、「サパークラブ」と言うらしい)が含まれている。このクラブは画家兼ピアニストで有名な、某有名小説家の孫娘(だったと思う)のF・Hがいつもライブをしたり、彼女の福岡公演を主宰したりもしており、彼女の策による絵画なども多数飾られている。ライブだけでなくダンスパーティなども出来るところで一度に2〜300人ほどを収容できる広さがある。
その広さのあまり、母が一人で掃除をすると、優にに1時間半はかかる。
それを、僕が休みなどのときはときたま手伝っているのだ。
と言っても、広い客席と入口までの通路、トイレ前の通路や厨房へ続く通路など、全面にカーペットが敷かれている上に掃除機をかける程度である。
これだけの広さを掃除機(家庭用)かけると、男の僕でも、30〜45分くらいはかかってしまうし、うっすらと汗までかいてしまう。
だが、その間に母は2階事務所、控え室、トイレなどの清掃をやってしまえるので、仕事の時間が半分になるといつも感謝してくれる。
手伝いを終え、母と別れて会社に寄った。出ていた分のギャラを貰い、アパートの近所にあるK医院へ行き、いつもの薬を貰い、その後、夕食の買い物をしにスーパーへ行った。
買い物をし始めてまもなく、ふと思いついた。「今日は久々にカレーにしよう!」
と言っても、もう1時過ぎだった。ちょっと面倒なので夕方から調理し始めても充分に間に合う『オリジナルカレー簡易版』にしようと、食材を買い始めた。
昔からカレーだけはかなりコダワって作る。
学生時代からボクがカレーを作ったと聞くと、いつもの仲間が食べにきて、味だけは自信があった。
今でも本格的に作るときはずん胴鍋に1週間分くらい大量に作り、日曜日なとに夜のために午前中から作り始める。
だが、そんなに時間を取れないときのために『簡易版』を考案したのだ。
簡易版というのは、辛口系のレトルトカレーを、各社バラバラに3種類ほど用意してミックスしたものをベースにする。
ちなみにレシピは…。
○牛スジ肉を一口サイズに切って、赤ワイン、パイナップルジュース、醤油、水をあわせた鍋の中で煮込む。水分が4分の1くらいになり、肉が柔らかくなったら、鶏ミンチ、牛豚合挽きミンチを入れて、赤ワインを少し加え、炒める。
○野菜(今日のは玉葱、赤と黄のパプリカ、茄子、マッシュルーム(スライス缶詰))
のマッシュルーム以外を全て食べ易いサイズに切る。
○玉葱の微塵切りをオリーブオイルで炒める。
充分飴色になったら、パプリカを加えて炒め、さらに茄子、スライスマッシュルームも投入、途中、塩コショウと適量のカレーパウダー(ウチではシェアウッドを使用)を混ぜながら、全体的になじませる。
○野菜が出来上がったら肉のほうの鍋の中身を投入、よくかき混ぜながら、ミートソース(缶詰で可)、トマトベースの野菜ジュース、100%ニンジンジュース、100%アップルジュース、ヨーグルト、缶コーヒー(ショート缶2分の1)を投入、混ぜ合わさったらレトルト3品を投入。カレーの味が足りない分はカレーパウダーで調整。
○辛味や微妙な味は、唐辛子(七味&輪切り)、カイエンヌペッパー、ブラックペッパー、オールスパイス、ウスターソースで調整。
○あとは煮込み。半分にちぎったローリエを2、3枚。適量のヨーグルト、赤ワインを加えてしばらく煮込めば出来上がり。
本来の『元祖・オリジナルカレー』はもっと色々手間も材料もかかるのですが、『簡易版』はこの程度です。
けっこう美味しく出来上がりましたよぉ〜。ひき肉を多く使っているので市販のナンを買ってきてナンで食べてもいいし、普通の白ご飯でももちろんGood!
サフランライスもどき(サフランは高いので)のターメリック・ライスでもかなりイケます。
ターメリックライスは、バター、塩、ターメリックを適量混ぜて普通に炊飯するだけですので簡単ですし、バターを入れているので炊飯器の内釜にご飯がこびりつかず、後で洗うときも台所洗剤で1往復するだけでOK!
これで数日は食費がかからない。
ちなみに僕の場合、朝・昼・晩、カレーで1週間は平気!
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前日の日記は日付が間違ってました。
2003年6月29日 前日の「女性シンガーの曲も…」は6月28日となっているが、28日に27日のことを思い出しながら書いたので本当は27日。
なのにupすると28日になっていた。
う〜む。謎だ…
なので、今日はまず昨日(28日)の日記から…
今日も特に何も無かったので、帰宅するまではカットする。
少し残業になったので「めちゃイケ」までには何とか間に合うように…と急いで帰ってきたのに、な〜んと、今日は「めちゃイケ」無しなんて……がび〜ん!
ナイター中日×巨人なんかやってるし…
自慢じゃないけど、生まれてこの方ジャイアンツ戦のナイターなんて一度も見たことはないっ!
見るくらいならCATVのお天気チャンネル(文字放送)延々繰り返し見てたほうがまぁだマシだ。
ホークス戦はもちろん、パリーグの試合なら時々見てるけど…。
昔から、巨人巨人言っている野球ファンはどうも苦手だった。
そんな僕だが「アンチ」だということを隠さなければならない時期が約1年間あった。
大学卒業間もなく入社したテレビ番組制作会社「TH」での最初の仕事が日本テレビ報道局への派遣で夕方ニュース番組のスポーツコーナーの担当だった。
先発ピッチャー発表時間になると急いで各球場に電話して両チームの先発を聞き、原稿に書いてCGルームに回す。シーズン中の僕のいつもの仕事だった。
その他、時々取材なども出かけたりしたが、僕は
文章能力が買われてもっぱら原稿書きが多かった。
この約1民間、日本テレビの中で「アンチ」がバレると、すわ非国民!的な存在になってしまうのが怖く、ずーっと隠し通したものだった。
さて、今日はフジテレビは『FNS27時間テレビ・みんなのうた』だったのだ。そんなことすっかり忘れていた。もうそんな時期なんだなぁ。(しみじみ)
でも、だからと言ってCXを見るわけではない。
だって9時から『世界ふしぎ発見!』を見ることは毎週の楽しみなんだもん♪
今日の『世界ふしぎ発見!』は坂本三佳さんがミステリーハンターで「幕末温泉街道を行く。明治維新は温泉から生まれた!?」だった。
僕は川幡由佳さんの大ファンだが、この番組自体、もう10年以上前からのお気に入り番組だったので、由佳さんとの出会いも必然だったのだ。
今日の坂本三佳さんは、由佳さん以外では、好きなミステリーハンターベスト3に入る。
ちなみにベスト3は、1位・もちろん竹内海南江さん。2位・(ミステリーハンターはもう引退しちゃったみたいだけど)水沢蛍さん。3位・坂本三佳さん。
その他では浜島直子さん、岡田薫さん、今井陽子さん、石川紗彩さんなんかが好き(けっこう気が多い?)です。
坂本三佳さんは、もう3、4年くらい前になるでしょうか、クロレッツ・クールのCMで、クロレッツを口にするとミ二スカートがめくれ上がって、パンティがモロ見えになってしまうという、少しショッキングなコマーシャルやっていた子です。
…というのを聞いて思い出せる人ってどのくらい居るかなぁ?
フカキョンの映画『死者の学園祭』にも出たりしてましたね。
今日のテーマは、「温泉」&「明治維新」という、僕の好きな二つのテーマをミックスジュースにするなんて、これは絶対見なきゃ!と、予告で見たときからずっっと楽しみ楽しみルンルンルン♪状態だった。
そのうえ、「明治維新」「温泉」と聞いただけで僕が最も好きな歴史上の人物「坂本龍馬」が出てくることは、もう決まったも同然!でしたから…
坂本龍馬ファンなら霧島への新婚旅行エピソードや塩浸温泉に入浴したという事実は有名ですし…
それに僕も霧島温泉は、もう4回ほど行っているんです。
塩浸温泉にお龍とともに龍馬が入浴したというのは当然知っていたし、塩浸温泉と同町内の温泉(野乃湯温泉)入浴済みだったので、ずっと一度行ってみたいと思っていたのだが…まだ行ったことはない。
来年までには一度行ってみようと考えている。
龍馬ファンだから第1問は超簡単。龍馬はこの霧島旅行より数年前に既に長崎でカステイラを食していたし、確かこの霧島登山のときは、疲労回復のために米よりも糖分が多いカステイラのほうが良いと、先に塩浸温泉で療養していた小松帯刀が用意させて龍馬夫妻に持たせたのだったと記憶している。
西郷隆盛の入った温泉は、僕はてっきり霧島の栗野岳温温泉のほうが紹介されるのかと思っていたのだが、うなぎ温泉のほうだったか…。
確かに征韓論に破れたときにしばらく逗留したらしいが…。
僕としてはそれ以上に山口市の湯田温泉松田屋が興味をそそられた。
桂小五郎や板垣退助、高杉晋作らが温泉で密談を重ねていたのかと思うと、なんだかワクワクしてくる。
ことに僕は龍馬の次に晋作が好きなので、もっと早くから良い温泉に入って養生していれば、あと2年くらいは長生きできたのではないだろうか…と思うと、彼の人並み外れた行動力が恨めしくて、でもカッコヨくて…と複雑な気持ちになる。
龍馬が歴史を刻んだ土地を訪れるのにはかなりの行動力が必要だが、晋作が思いを残した場所なら、福岡市内中央区にある。
西鉄平尾駅から西に約1キロ、平尾山荘だ。この山荘の住人は野村望東尼という維新時代の歌人で、福岡藩の志士を匿い、密談の場所やアジトとして山荘を提供した。
平野國臣や中村円太、月形洗蔵など、東奔西走した多くの維新志士たちから厚い信頼を受けた彼女はこの隠れ家のような小庵で、山口から傷を負って一時逃げてきた高杉晋作を、約1週間匿っているのだ。
山荘は戦火などで焼失したこともあったそうだが、現在では全く同じ場所に復元されている。
ここに来ると、晋作が傷だけでなく心も癒したであろうことが想像できる。
ほんの少しだが高杉晋作と同じ空気を体験できたような気持ちになって晋作ファンとしてはこの上なく好きな場所だ。
一時として心の休まることがなかったであろう晋作が唯一、心ゆくまで洗心できたであろうこの場所は、今でも周囲の近代化に取り残されたような空間を残している。
だから時々思い出したように、僕もこの「平尾山荘」を訪れることがあるのだ。
明治維期の歴史は本当に、人間ドラマの凝縮された面白さがある。
『世界ふしぎ発見!』の1時間という放送時間が本当に物足りない気持ちになる。もっともっと、3時間くらい維新ネタでやって欲しい気分だった。
パネラー達もツッコんでいたが、外人女性3人組は一体なんだったの?あれは要らないだろう。やっぱ…
ところで、再来週はまたまた由佳さんの登場らしい。
今度はどんなレポートしてくれるのだろう?
楽しみだなぁ…
あ!今日の日記を書く余裕があまりなくなってしまった。
…という訳で今日の日記は…
日曜日、仕事はおやすみ。一日中家でぐーたらしていて、別段何もなかった!
とゆーことで、終わり。以上!
なのにupすると28日になっていた。
う〜む。謎だ…
なので、今日はまず昨日(28日)の日記から…
今日も特に何も無かったので、帰宅するまではカットする。
少し残業になったので「めちゃイケ」までには何とか間に合うように…と急いで帰ってきたのに、な〜んと、今日は「めちゃイケ」無しなんて……がび〜ん!
ナイター中日×巨人なんかやってるし…
自慢じゃないけど、生まれてこの方ジャイアンツ戦のナイターなんて一度も見たことはないっ!
見るくらいならCATVのお天気チャンネル(文字放送)延々繰り返し見てたほうがまぁだマシだ。
ホークス戦はもちろん、パリーグの試合なら時々見てるけど…。
昔から、巨人巨人言っている野球ファンはどうも苦手だった。
そんな僕だが「アンチ」だということを隠さなければならない時期が約1年間あった。
大学卒業間もなく入社したテレビ番組制作会社「TH」での最初の仕事が日本テレビ報道局への派遣で夕方ニュース番組のスポーツコーナーの担当だった。
先発ピッチャー発表時間になると急いで各球場に電話して両チームの先発を聞き、原稿に書いてCGルームに回す。シーズン中の僕のいつもの仕事だった。
その他、時々取材なども出かけたりしたが、僕は
文章能力が買われてもっぱら原稿書きが多かった。
この約1民間、日本テレビの中で「アンチ」がバレると、すわ非国民!的な存在になってしまうのが怖く、ずーっと隠し通したものだった。
さて、今日はフジテレビは『FNS27時間テレビ・みんなのうた』だったのだ。そんなことすっかり忘れていた。もうそんな時期なんだなぁ。(しみじみ)
でも、だからと言ってCXを見るわけではない。
だって9時から『世界ふしぎ発見!』を見ることは毎週の楽しみなんだもん♪
今日の『世界ふしぎ発見!』は坂本三佳さんがミステリーハンターで「幕末温泉街道を行く。明治維新は温泉から生まれた!?」だった。
僕は川幡由佳さんの大ファンだが、この番組自体、もう10年以上前からのお気に入り番組だったので、由佳さんとの出会いも必然だったのだ。
今日の坂本三佳さんは、由佳さん以外では、好きなミステリーハンターベスト3に入る。
ちなみにベスト3は、1位・もちろん竹内海南江さん。2位・(ミステリーハンターはもう引退しちゃったみたいだけど)水沢蛍さん。3位・坂本三佳さん。
その他では浜島直子さん、岡田薫さん、今井陽子さん、石川紗彩さんなんかが好き(けっこう気が多い?)です。
坂本三佳さんは、もう3、4年くらい前になるでしょうか、クロレッツ・クールのCMで、クロレッツを口にするとミ二スカートがめくれ上がって、パンティがモロ見えになってしまうという、少しショッキングなコマーシャルやっていた子です。
…というのを聞いて思い出せる人ってどのくらい居るかなぁ?
フカキョンの映画『死者の学園祭』にも出たりしてましたね。
今日のテーマは、「温泉」&「明治維新」という、僕の好きな二つのテーマをミックスジュースにするなんて、これは絶対見なきゃ!と、予告で見たときからずっっと楽しみ楽しみルンルンルン♪状態だった。
そのうえ、「明治維新」「温泉」と聞いただけで僕が最も好きな歴史上の人物「坂本龍馬」が出てくることは、もう決まったも同然!でしたから…
坂本龍馬ファンなら霧島への新婚旅行エピソードや塩浸温泉に入浴したという事実は有名ですし…
それに僕も霧島温泉は、もう4回ほど行っているんです。
塩浸温泉にお龍とともに龍馬が入浴したというのは当然知っていたし、塩浸温泉と同町内の温泉(野乃湯温泉)入浴済みだったので、ずっと一度行ってみたいと思っていたのだが…まだ行ったことはない。
来年までには一度行ってみようと考えている。
龍馬ファンだから第1問は超簡単。龍馬はこの霧島旅行より数年前に既に長崎でカステイラを食していたし、確かこの霧島登山のときは、疲労回復のために米よりも糖分が多いカステイラのほうが良いと、先に塩浸温泉で療養していた小松帯刀が用意させて龍馬夫妻に持たせたのだったと記憶している。
西郷隆盛の入った温泉は、僕はてっきり霧島の栗野岳温温泉のほうが紹介されるのかと思っていたのだが、うなぎ温泉のほうだったか…。
確かに征韓論に破れたときにしばらく逗留したらしいが…。
僕としてはそれ以上に山口市の湯田温泉松田屋が興味をそそられた。
桂小五郎や板垣退助、高杉晋作らが温泉で密談を重ねていたのかと思うと、なんだかワクワクしてくる。
ことに僕は龍馬の次に晋作が好きなので、もっと早くから良い温泉に入って養生していれば、あと2年くらいは長生きできたのではないだろうか…と思うと、彼の人並み外れた行動力が恨めしくて、でもカッコヨくて…と複雑な気持ちになる。
龍馬が歴史を刻んだ土地を訪れるのにはかなりの行動力が必要だが、晋作が思いを残した場所なら、福岡市内中央区にある。
西鉄平尾駅から西に約1キロ、平尾山荘だ。この山荘の住人は野村望東尼という維新時代の歌人で、福岡藩の志士を匿い、密談の場所やアジトとして山荘を提供した。
平野國臣や中村円太、月形洗蔵など、東奔西走した多くの維新志士たちから厚い信頼を受けた彼女はこの隠れ家のような小庵で、山口から傷を負って一時逃げてきた高杉晋作を、約1週間匿っているのだ。
山荘は戦火などで焼失したこともあったそうだが、現在では全く同じ場所に復元されている。
ここに来ると、晋作が傷だけでなく心も癒したであろうことが想像できる。
ほんの少しだが高杉晋作と同じ空気を体験できたような気持ちになって晋作ファンとしてはこの上なく好きな場所だ。
一時として心の休まることがなかったであろう晋作が唯一、心ゆくまで洗心できたであろうこの場所は、今でも周囲の近代化に取り残されたような空間を残している。
だから時々思い出したように、僕もこの「平尾山荘」を訪れることがあるのだ。
明治維期の歴史は本当に、人間ドラマの凝縮された面白さがある。
『世界ふしぎ発見!』の1時間という放送時間が本当に物足りない気持ちになる。もっともっと、3時間くらい維新ネタでやって欲しい気分だった。
パネラー達もツッコんでいたが、外人女性3人組は一体なんだったの?あれは要らないだろう。やっぱ…
ところで、再来週はまたまた由佳さんの登場らしい。
今度はどんなレポートしてくれるのだろう?
楽しみだなぁ…
あ!今日の日記を書く余裕があまりなくなってしまった。
…という訳で今日の日記は…
日曜日、仕事はおやすみ。一日中家でぐーたらしていて、別段何もなかった!
とゆーことで、終わり。以上!